Chapter 670 「見る」と「観る」

一日24時間一年365日一生80年の人生には、眠りの人生か覚醒の人生かどちらかしかないのであって、わたしたち人間は残念ながら眠りの人生を送っていると言わざるを得ません。
眠りの人生か覚醒の人生かの判断基準が夢に対する理解です。
夢を眠りの中のものと捉えるなら、眠りの人生を送っている証左であり、夢を覚醒の中のものと捉えるなら、覚醒の人生を送っている証左であります。
夢を眠りの中のものと捉えると、夢を観ている間のことを現実だと勘違いして、眠りから醒めるつまり夢から醒めても夢を引き摺る結果、一日24時間一年365日一生80年が思い悩み四苦八苦する眠りの人生になってしまう。
夢を覚醒の中のものと捉えると、夢を観ている間のことを夢だと理解できて、自分独りだけの世界が現実の世界であり、他者が介入する世界は夢の世界であることを自覚できる結果、一日24時間一年365日一生80年を思い悩み四苦八苦することのない覚醒の人生とすることができる。
覚醒の人生は現実という自分独りの世界です。
眠りの人生は幻想という他者が介入する世界です。
夢は他者との境界線である五感が織り成す単なる映像であります。
従って、覚醒の人生では夢を観ることはありません。
従って、眠りの人生だけ夢を観ることになるのです。
わたしたち人間は見る生き物ですから夢を目で見る結果、夢を現実だと勘違いするのです。
生まれつき目の不自由な人は、夢を目で見ることができないわけですから、夢を耳で聞き、夢を鼻で匂い、夢を舌で味わい、夢を肌で感じる結果、夢を現実だと勘違いすることはないのです。
時の流れは光速度と一致しているから、光情報を見る夢では現実との時差が感じられないのに対し、音情報や匂い情報や味情報や触覚情報の夢では現実との時差を感じられるのがその理由です。
映画やテレビはまさに夢のメカニズムを利用したものです。
映画やテレビを観て一喜一憂している限り、夢を現実だと勘違いする眠りの人生から脱却することはできません。
出演もしていないのに、出演しているかの如く映画やテレビに自己同化(Self-identify)しているから一喜一憂するのです。
映画やテレビを観て冷静でいられるなら、夢を夢だと透撤できる覚醒の人生を送っていることになります。
映画やテレビの出演者の立場と同じで、人生の舞台の裏表を知っているつまり自他の区分けができるから一喜一憂しないのです。
見る生き物ゆえの宿命でもありますが、見ることから観ることへ変身することで、眠りの人生から覚醒の人生へ進化することができるのです。
眼球で見るつまり五感(部分)で見ることを見ると言うのです。
心眼で見るつまり肉体(全体)で見ることを観ると言うのです。