Chapter 673 夢から醒める

見る生き物であるゆえ、わたしたちは夢を観ている。
生まれつき目の不自由な人は、夢を聞いている。
匂う生き物である犬は、夢を匂っている。
料理の名人は、夢を味わっている。
セックスを商いにしている人は、夢を肌で感じている。
夢を観、夢を聞き、夢を匂い、夢を味わい、夢を肌で感じる、そして夢を「想う」ことで一喜一憂する。
まさに映画を観ているそのものであり、わたしたちの人生そのものでもあります。
夢も映画も醒めることで夢であり映画であることに気づくのに、人生という夢から醒めることがないのがわたしたちであります。
醒めるということは、運動を静止することです。
映画のフィルムは一枚一枚の静止画面の積み重ねでできていますが、一枚一枚の静止画面をパラパラと速く捲ることで恰も動いているように見せかけたのが動画画面であり、夢という人生の正体であるのです。
映画のフィルムを撮るには、一コマ一コマをカットしながらカメラで撮影していくわけですが、一コマ一コマこそが現実であって、撮影した静止画面こそが記憶であり、静止画面をパラパラと捲る運動をすることが映写という夢であるのです。
『今、ここ』という一コマだけが現実であり、一コマの現実を撮影したつまり記憶したものに対する単一の「想い」が感情であります。
『今、ここ』という一コマの現実が、時間の流れと共に重ね合せた静止画面として撮影(記憶)されていき、光速度でパラパラと捲る結果、夢(映画)という人生が展開されていき、単一の「想い」である一喜一憂する感情が、複数の「想い」という連想つまり思考になって思い悩む四苦八苦の人生になっていくのであります。
問題は光速度でパラパラと捲る結果であります。
光速度というのは時間の流れる速度そのものであるので、光速度で運動すると時間の流れが恰も静止しているように勘違いする。
わたしたちの普段は光速度で運動していないので、過去から現在を通じて未来へと流れる時間の経過を感じている、つまり歳をとっているのです。
連想つまり考えることを以って生きていると思っているわたしたちの中で、五感と第六感の「想い」との間で時差が生じる、この時差こそが分裂症状に外ならないのであり、現実と「想い」のギャップであるのです。
わたしたちが人生の中で感じる不幸感というのは、現実と「想い」のギャップに外なりません。
『今、ここ』という現実は「在り方」であり、複数の「想い」である思考は「考え方」であり、その間に時差があるから、思い通りにならない四苦八苦の人生になるのです。
『今、ここ』という静止画面の原風景の中に独り立つことが生きることであります。
『今、ここ』という原風景を撮影(記憶)した静止画面を光速度でパラパラと捲る人生こそ、四苦八苦の人生であります。
光速度でパラパラと捲る映画つまり夢を現実の人生と捉えるのが問題なのであり、毎晩観る夢が、朝目が醒めることで夢から醒める一瞥を与えてくれているにも拘らず、人生の夢から醒めることができないでいるのです。
他者はすべて映像であることに気づくことが、何にもまして肝腎であります。
四六時中見ている夢から、『今、ここ』で醒めることです。