Chapter 680 四苦八苦の所以

四苦八苦の四苦は生老病死であります。
地球上の十六通りの「二元論」の最も基本である生・死が四苦の中の二つであり、他の二つの老いる苦しみと病気の苦しみも生きる苦しみあってのもので、死ねば老いる苦しみも病気になる苦しみもないわけですから、結局は生・死の二苦に集約されます。
四苦八苦の残りの四苦である愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦も結局の処、生きる苦しみであります。
そうしますと四苦八苦と言っても、死以外はすべて生きる苦しみであって、結局、生死の問題になるわけです。
十六通りの二元要因である、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄も詰まるところ生死の問題になり、しかも死が実体あるもので、生は死の不在概念であるわけですから、畢竟、死の問題になります。
しかしながら、わたしたち人間は生の問題で四苦八苦しているのが実態であり、無意識下では確かに死を恐れているようだけれど、それは遠い未来の話であって、当面の四苦八苦の問題は生きる苦しみであるわけです。
無数の生きる苦しみがあって、最後に死の問題と直面する。
他の生き物は死の概念を持っていませんが、常に死と隣り合わせで生きています。
それが野生の本質であります。
わたしたち人間だけが死の概念を持っているが、普段は死の問題とは隣り合わせで生きていません。
これは極めておかしな話であります。
生まれた限りは必ず死ぬことを知った人間が死を意識しないで、死ぬことを知らない他の生き物が死を意識している。
他の生き物が常に死を意識しているのは、生死二元論は死が実体あるもので生は死の不在概念であることを全体宇宙レベルつまり全体観の中で知っているからです。
わたしたち人間が普段死を意識していないのは、生死二元論を対立要因と捉え、その延長にオス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・といった無数の二元対立要因を創りだしたからです。
他の生き物にとって重大なのは死の問題だけであって、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の意識などありません。
わたしたち人間だけが生死の問題と捉えるから、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の意識が起こるわけです。
わたしたち人間だけにある四苦八苦の観念は、無数の生きる苦しみがあって、最後に死の問題と直面するところから発生するのです。
先ずは当面の生きる苦しみをどうするかに腐心して生きているが故に、死という究極の問題を先送りする。
生と死の問題、オスとメスの問題、善と悪の問題、強者と弱者の問題、賢者と愚者の問題、富める者と貧しい者の問題、幸福と不幸の問題、天国と地獄の問題・・・無数の問題は、詰まるところ、無数の生の問題と一つの死の問題になってしまっているわけで、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄を対立する二元要因と捉えているからであります。
実体あるのは死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄であり、その基本は死であり、メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄は死の一面性であるのです。
わたしたち人間が致命的な間違いをしているのが、実体ある死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄を否定的な概念と捉えている点にあります。
メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄・・・は死の一面性つまり死の介添え役(サポーター)であることを理解していないと言い換えてもいいでしょう。
メスは死(=誕生)に至るための介添え役(サポーター)です。
悪は死に至るための介添え役(サポーター)です。
弱は死に至るための介添え役(サポーター)です。
愚は死に至るための介添え役(サポーター)です。
貧は死に至るための介添え役(サポーター)です。
不幸は死に至るための介添え役(サポーター)です。
地獄は死に至るための介添え役(サポーター)です。
わたしたちは生きる、老いる、病気を苦と捉えていますが、それらはみな死の介添え役(サポーター)であるのです。
死ぬために生きる。
死ぬために老いる。
死ぬために病気になる。
唯一の実体ある「死」を、わたしたち人間は否定概念として捉えている故に、介添え役(サポーター)であるメス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄を否定概念として捉え、延いてはこれらの否定概念を生きる苦しみと定義してしまったのであります。
生老病死の生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみなど本来無いのです。
ところが宗教も科学(医学)も、生きること、老いること、病気になることを「苦」と捉え、除去しようと躍起になるから、死の苦しみを味わうことになるのです。
他の生き物は死の苦しみなど知りません。
他の生き物も、生き、老い、病気になりますが、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみなど知らないからです。
病気は死ぬための介添え役(サポーター)であるのに、病気を忌み嫌うから、苦しい死に方をするのです。
死の介添え役(サポーター)の病気なら医者に掛かっても仕方ないし、死の介添え役(サポーター)の病気でないなら自然治癒力で治してくれるから、これまた医者に掛かっても仕方がない。
それをのべつ幕無しに医者に掛かるから、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみを味わい、挙げ句の果てに、死の苦しみを味わうのです。
楽に生きたいなら宗教に頼らないことが肝腎です。
楽に死にたいなら医者に頼らないことが肝腎です。
無数の生きる苦しみがあって、最後に死と直面する。
四苦八苦の概念の誕生であり、わたしたち人間だけが四苦八苦の人生を送る所以であります。