Chapter 683 人間に残された道

恐怖の夢ばかりを観ている限り、わたしたち人間社会から差別・不条理・戦争はなくなりません。
差別・不条理・戦争は脅迫観念の産物であり、脅迫観念の食べ物は夢という追憶にあり、追憶の食べ物は連想にあり、連想の発端は一喜一憂・喜怒哀楽の感情にあることを認識することです。
「世界の平和」とか、「国家の大儀」とか、「正義」とか、「聖戦」とか、いくら偽善を装っても、差別・不条理・戦争は一喜一憂・喜怒哀楽の感情に端を発していることを、わたしたち人類は自覚しなければなりません。
差別・不条理・戦争を引き起こすのは一般大衆の「想い」すなわち感情であり、その悲劇のボタンを押すのは、一般大衆のレベル以上にはなり得ない政治家や役人であり、彼らが民主政治をしようが、独裁政治をしようが大差はないのであります。
民主政治をしているから平和であり、独裁政治をしているから差別・不条理・戦争が起こるといった問題ではないことは、現に自由・民主の国であるアメリカが、既に独裁者が消滅したイラクで戦争を続け、世界で唯一軍隊を持たないと憲法で謳った平和国家・日本がアメリカに加担していることでも証明しています。
戦争を続けているアメリカや日本の政治家を選挙で選んでいるのは、国民つまりわたしたち一般大衆であるのです。
結局の処、差別・不条理・戦争といった問題は、一般大衆を構成する個々人の目覚めの程度に因ると言っても過言ではありません。
五感からインプット・アウトプットされる「想い」つまり感情を、自己の「考え(思考)」だと勘違いしている限り、目覚めることは不可能です。
五感からインプット・アウトプットされる「想い」は単一の「想い」という感情であり、次から次へとインプット・アウトプットされる無数の「想い」が連なって連想となったものを、自己の「考え(思考)」だと勘違いしていることを自覚し、連想をする原因は常に過去・現在(過去の延長の現在であり、未来の引き寄せの現在)・未来に「想い」を馳せることにある、つまり『今、ここ』に生きていないことに起因していることに気づくことであります。
悪夢の原因は脅迫観念にあり、脅迫観念の根源はひとつ一つの「想い」の連鎖反応で起こる連想にあり、連想の原因は五感特に視覚情報の伝達速度が時間の流れの速度と同じ光速度であるからです。
見る生き物である人間が「考える葦である」所以が視覚動物にあるからです。
聞く生き物や、匂う生き物や、味わう生き物や、肌で感じる生き物なら、自分たちは「考える葦」ではなく「想う葦」である自覚ができているのですが、見る生き物である故、「想う葦」を「考える葦」と勘違いするという錯覚に陥っているのです。
わたしたち人間は万物の霊長などでは決してなく、勘違いと錯覚の「生」を送っている愚かな生き物であると言えるでしょう。
勘違いと錯覚の「生」を送っている生き物だから、「悟り」が必要な生き物であると言えるかも知れません。
他の生き物は知らず知らずの内に「悟り」を得ている、無知性の絶対一元論の世界に生きているのです。
わたしたち人間に残された可能性は、有知性の絶対一元論つまり三元論の世界に逸早く進化する道しかないのでありますが、一般大衆は依然拝金主義に塗れた相対的一元論の世界に止まっているのです。