Chapter 686 本当の自由と責任

二十一世紀は全く新しい価値観の社会にしなければ人類の存続はあり得ないでしょう。
二十世紀までの人類文明を発展させてきた未来志向の反動が、いま起き始めているのです。
未来志向は未来思考の結果であるわけですから、過去・現在・未来に「想い」を馳せた結果であり、人類文明の発展は思い悩む四苦八苦の人生との交換条件であったわけです。
生老病死と愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦八苦は、快適な衣食住生活との交換条件であったのです。
快適な衣食住生活とは、ブランド物の衣類にうつつを抜かし、グルメ料理にうつつを抜かし、マンション・ブームにうつつを抜かす文明社会のことであり、まさしく現代日本社会の様相であります。
ビジネス社会も未来志向(思考)の権化のような存在であり、未来志向を金科玉条のごとく信じ込み、自ら企業戦士と胸を張っている人たちの浅ましい社会であります。
ビジネス社会は西洋近代化社会が生んだ代物であり、しかもその正体を見せはじめたのは第二次世界大戦後のことですから、まだ半世紀しか経っていないのです。
最適工業化社会と標榜された社会のことであり、それ以前の近代化社会とは、その質において大きく違っていることを、わたしたち現代人は忘れてしまっているのです。
拝金主義に塗れた企業人など戦前の日本社会には存在していなかったのですが、現在の日本の大企業はまさしく拝金主義の権化に陥っていると言っても過言ではない。
企業犯罪が頻発しているのがその証左であり、経営トップの倫理観を含む質の甚だしい低下は目を覆うばかりの有様です。
実力で地位を得る戦前に比し、ゴマスリだけで大企業トップの地位を得るのですから当然の結果であります。
本音で生きることを忘れ、建前だけで生きてきた、まさしく犬や猫にも劣る生き物が世間的に高い地位を得ているのが現代日本社会であります。
一億総四苦八苦の日本国民であるのに、その自覚が全く無い。
快適な衣食住生活にうつつを抜かしてきた反動が起こっているのです。
宇宙全体からすれば地球は一家族のようなものです。
快適な衣食住生活を送っている者と飢餓状態の生活を送っている者とが混在している家族などあり得ましょうか。
飢えた子供を横目に母親はグルメ料理にうつつを抜かすことができるでしょうか。
昔の日本社会では、貧困に喘いでいる隣人がいれば皆で助ける互助精神がありましたが、今では親兄弟が困っていても見て見ぬ振りをする。
ところが地震・津波や台風で災害に遭った人たちにはマスコミを通じて寄付をする。
偽善の最たる現象であります。
西欧社会に寄付の習慣があるのは、偽善と差別意識の証明であります。
二十一世紀はこういった習慣を捨てた新しい価値観の世紀にしなければなりません。
過去・現在・未来に「想い」を馳せる水平時間の流れに身を任せずに、『今、ここ』を生き切る垂直時間に身を投ずる勇気ある生き方が、新しい価値観の核にならなければならないのです。
今までの自由とは違う本当の自由つまり「高度自由」を獲得するためには、「勇気」の発露が責務になるのです。
自由には責任が伴うように、「本当の自由(高度自由)」には「勇気」という責任が伴うのです。