Chapter 688 精神的束縛の正体

輪廻転生の考え方は『今、ここ』を生きる大きな妨げになります。
『今、ここ』という真実の自己の「在り方」を否定して、来世つまり未来にすべてを託すのが輪廻転生の考え方なのです。
釈迦の教えの根本が何処にあるのか知りませんが、所謂「空」や「無」の根本は、『今、ここ』にあると言っていいでしょう。
釈迦の教えの中に「神」の概念や輪廻転生があったかどうか知りませんが、『今、ここ』にしかない「空」や「無」の教えとは相容れないことは明白です。
ところが小乗仏教・大乗仏教になると輪廻転生の考え方が明白に出てきます。
また釈迦が生きていた当時のインドに既にあったバラモン教から派生したヒンズー教やジャイナ教には輪廻転生の考え方が色濃くあったのは、宗教が支配・被支配二層構造社会の支柱になっていた証左であります。
『今、ここ』を生きるという命題は個人の問題であり、社会や国家といった組織の問題ではないということです。
支配・被支配二層構造を支柱にした社会や国家といった組織が個人を支配する絶対条件は、個人の考え方を如何に『今、ここ』から過去・現在・未来に移牒するかに掛かっていると言ってもいいわけで、その切り札が輪廻転生という考え方であるわけです。
輪廻転生という考え方をより洗練されたものにするために、「魂」や「霊」の概念を導入し、その最高目標に「神」を位置づける。
“『今、ここ』のお前たち奴隷つまり被支配者たちは、生きている限り奴隷の身から抜け出ることは不可能だが、『今、ここ』をそれこそ一生懸命支配者たちのために働けば、死んで生まれ変わった暁には、「魂」がレベルアップして延いては「神」の座も可能だから、もっと働くのだ!”
まるで詐欺師の言葉です。
わたしたち一般大衆は、いつもこの甘い言葉に騙されて、未だ来ぬ未来に「想い」を馳せて生き、支配者連中の罠にまんまと嵌ってきたのであります。
宗教とは、支配・被支配二層構造社会を維持するための手段であり、宗教の極致に拝金思想があると言っても過言ではありません。
宗教団体とお金が切り離せない問題であることが物語っています。
宗教にとって表の教義は、キリスト教・イスラム教・仏教・・・それぞれのものがありますが、裏の教義はみんな拝金思想という同根であるのです。
聖書・コーラン・ベーダ・各種お経・・・と千差万別ですが、裏では「拝金経」で一致しているわけです。
宗教の真のお経は、“金だ!金だ!金がすべてだ!”しかないのです。
そしてわたしたち一般信者は、“金だ!金だ!金がすべてだ!”と呪文を唱和しながら、支配者たちから搾取されているのですが、絶対に搾取されてはならないもの、つまり『今、ここ』まで搾取されているのです。
それが精神的束縛であるのです。
精神的束縛から解放されるには、『今、ここ』を取り返すしかないのです。