Chapter 689 自縄自縛の現代社会

現代社会における物理的束縛の最大要因は“お金”であり、精神的束縛の最大要因は“拝金思想”であります。
近代民主主義社会の目に見えない束縛であります。
古代社会における物理的束縛とは奴隷制度であり、精神的束縛はありませんでした。
中世社会における物理的束縛とは宗教であり、精神的束縛も宗教でした。
支配・被支配二層構造社会が物理的束縛から精神的束縛に変節していった歴史と言ってもいいでしょう。
視覚動物であるわたしたち人間は、目に見えないものは存在しないと思う習性を強く持っています。
物理的束縛は目に見えるものですが、精神的束縛は目に見えません。
支配・被支配二層構造社会はその支配構造を歴史の中で巧妙に変えていったのです。
腕力という動物的な方法で支配してきたのが古代の奴隷制度であったのですが、支配手段であった宗教が、中世になると被支配者側にも救世主待望論という形で浸透していった結果、物理的束縛だけでは完全支配できなくなってきたわけです。
物理的束縛だけでは完全支配できなくなった最大の要因がイエス・キリストの出現でした。
近代の幕開けの役割を果たしたルネッサンス・宗教革命・産業革命は、まさに中世の最大束縛要因だった宗教という権力への挑戦であったのです。
物理的束縛としての宗教はローマ・カトリックを頂点としたピラミッド型階級社会であり、精神的束縛としての宗教はイエス・キリストの中心的教えとなった福音書からの呪縛であります。
被支配者にとって救世主であるイエス・キリストの教えが精神的自由の唯一の切り札であったのに、ローマ・バチカンによる福音書による教えによって精神的束縛になってしまったのが中世であったわけで、ルネッサンス・宗教革命・産業革命は、宗教という束縛から自由になる叫び声であったのです。
“古代は奴隷という物理的束縛だけで、心の王国という精神的自由があったのに、中世になって宗教は物理的束縛のみならず精神的束縛にもなってしまった。もう宗教はたくさんだ!”という叫び声であったのです。
そしてその反動として客観性重視の近代社会が誕生した。
客観性重視の近代社会は、必然唯物志向に走りました。
唯物志向の挙げ句の果てに、中世において物理的束縛でも精神的束縛でもあった宗教に取って代わったのが富の概念の誕生でした。
古代における富の源泉は権力であり、中世における富の源泉は宗教でしたが、近代そして現代における富の源泉が“お金”になっていったのです。
近代社会における欧米列強・帝国主義植民地政策は飽くなき富の追求であったのです。
そしてその極致現象が、物理的束縛としての“お金”であり、“金だ!金だ!金がすべてだ!”というお経を唱和する宗教が精神的束縛となった、拝金主義の蔓延した現代社会であるのです。
“目に見えないものは存在しない”と、思い込む習性を持った人間の弱点を突いた支配手段が、“お金”という物理的束縛と、拝金主義という精神的束縛であるのです。
わたしたち一般大衆は、まんまとその罠に嵌り、自縄自縛に陥っているのです。
自縄自縛という巧妙な罠から抜け出す唯一の道は、本当の自己の発見であり、その唯一の方法は『今、ここ』を生きることです。