Chapter 690 嵩(かさ)の人生から質の人生へ

宇宙にある無数の星も、わたしたち人間と同じように誕生・生・死があります。
一つひとつの星もビッグバンという所謂受精によって、無から有という非連続つまり橋のない深淵(Abyss)をジャンプして誕生し、円運動の軌道を膨張という半円と収縮という半円を経過して円運動の終点に達して死を迎えます。
誕生には無から有、死には有から無という非連続つまり橋のない深淵(Abyss)をジャンプする段階が必ずあり、生は膨張という過程と収縮という過程が必ずある。
誕生・生・死の三つの法則の原点であり、円回帰運動の基本であります。
地球上では四十八の法則に分化されていますが、原点は誕生・生・死の三つの法則であります。
誕生がプラス、死がマイナス、そしてその間に横たわっているのが円周というニュートラルの生であると言ってもいいでしょう。
わたしたちが死を恐れているのは、有から無という非連続つまり橋のない深淵(Abyss)を勇気を奮ってジャンプしなければならない緊張感から起こっているわけで、誕生の際に無から有という非連続つまり橋のない深淵(Abyss)を勇気を奮ってジャンプした経験があるからです。
死への恐怖の原点は有から無へのジャンプに尽きると言っても過言ではありません。
男性が暴力的であるのは、その根底に臆病さがあるからで、その臆病さは誕生・死という無から有と有から無という非連続つまり橋のない深淵(Abyss)をジャンプする経験が無いからで、女性は子供を産むという行為でジャンプする勇気を自然に身につけているから最後には肝が座っているのです。
生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄という十六通りの二元論において、実体あるのは死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄であり、生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国は死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄の不在概念に過ぎないことを肝に銘じておくことが地球上に存在するものには極めて大事なのです。
オスとメスの間から子供が生まれるのは連続状態の宇宙(世界)の中での話であり、ビッグバンで静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙から運動の光と音(喧噪)の全体宇宙が誕生したように、無から有という非連続つまり橋のない深淵(Abyss)をジャンプする過程では、プラスとマイナスという二元論ではなくて、プラス・ニュートラル・マイナスという三つの法則が必ず生まれます。
地球という惑星だけに生命体が誕生したのも、無から有という非連続つまり橋のない深淵(Abyss)をジャンプする過程があったからで、従って生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄という十六通りの二元論と共に、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄という八通りのニュートラル性を持った実在が生まれたのです。
地球上で36億年前に単細胞の生命体が誕生し、8億年前に多細胞の有機生命体が誕生し、その後魚類・両生類・爬虫類・哺乳類・猿類を経て、わたしたち人間の祖先である人類が誕生して現在に至るのですが、わたしたちにはそれぞれ一人ずつの両親がいて、一人ずつの両親には更に一人ずつの両親がいて・・・十代遡ると1024人の両親がいて、二十代遡ると1,048,576人の両親がいて、三十代遡ると1,073,741,824人の両親がいて、四十代遡ると一兆を超える両親がいることは間違いない事実であり、わたしたちが存在している所以であります。
一兆を超える四十代前の祖先とは猿だったのでしょうか、哺乳類だったのでしょうか、爬虫類だったのでしょうか、両生類だったのでしょうか、魚類だったのでしょうか、三葉虫だったのでしょうか、アメーバだったのでしょうか。
わたしたち現代人と人類との間は両親という祖先の橋で繋がっているつまり連続関係にある。
人類と猿類との間は両親という祖先の橋で繋がってはいません。
猿類と哺乳類との間も、哺乳類と爬虫類との間も、爬虫類と両生類との間も、両生類と魚類との間も、魚類と三葉虫との間も・・・両親という祖先の橋で繋がってはいません。
繋がってはいないけれど、間違いなく繋がっている。
無から有の誕生とはまさしく非連続の連続であるわけで、そこには両親つまりオスとメスつまりプラスとマイナスという二元論では解決できない問題点がある。
二元論とは表裏一体、始点と終点の関係ですが、その間には無数の円周というニュートラル・ポイントが横たわっているのです。
それが誕生・死の間に横たわっている生であるのです。
しかもその生は膨張と収縮というそれぞれ半円の過程を必ず有している。
膨張とは体積(嵩)が膨張することであり、逆に密度(質)が小さくなる。
収縮とは体積(嵩)が収縮することであり、逆に密度(質)が大きくなる。
わたしたち人間も歳を重ねていくと収縮過程に必ず入り、密度が大きくなった星つまり歳を重ねた星ほど自転速度が増し、一日の時間が短くなっていくように、時間の経過が速く感じるようになります。
つまり嵩(かさ)の人生から質の人生に入っていくのです。
歳をいくら重ねても嵩(かさ)の人生を送っているのが、この世的成功ばかりを追いかける哀れな老人であり、最後に死というジャンプをする勇気を奮い起こせず地獄を見る羽目になるのです。