Chapter 694 愚かな人類

わたしたち人間だけにある四苦八苦の人生は、勘違いだらけの一生でもあります。
他の生き物よりも科学の発達で多くのことを知っている筈の人間が、どうして勘違いばかりするのでしょうか。
四苦八苦の人生から学ぶべきものは何もないということであります。
“苦労は買ってでもせよ”
買ってでもする苦労と四苦八苦とは全く別物です。
買ってでもする苦労というのは、四苦八苦の苦ではなくて、継続の苦労のことをいうのに対して、四苦八苦の苦は勘違いの苦痛感であると言ってもいいでしょう。
従って、両者の本質は二律背反関係にあります。
継続の苦労をすればするほど四苦八苦の苦は減り、継続の苦労を怠れば怠るほど四苦八苦の苦は増える。
継続の苦労は勘違いの人生から気づきの人生に変身させてくれる。
四苦八苦はますます勘違いの人生の深みに嵌める。
四苦八苦の苦とは、生老病死と愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦のことですが、これらの苦はまさしく地球上における十六通りの「二元論」すなわち生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄を対立要因と捉えた結果であります。
地球上における十六通りの「二元論」すなわち生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄を対立要因と捉えるから、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄を否定的に捉え、延いては実体ある死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄の単なる不在概念である生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国という実体のないものを追いかける勘違いの人生つまり四苦八苦の悪循環の人生を送ることになるのです。
四苦八苦の悪循環を断ち切るには、継続の苦労を買ってでもするしか道はないのです。
継続するのがどうして苦労なのか。
自我意識を持っていると継続することができないので、継続しようとすると自我意識を落とさなければならない。
それが苦労なのです。
自我意識とは心(マインド)つまり複数の「私」のことに外ならないのであり、一つの「私」が、“こんなこと”と主張すると、二つ目の「私」が、“あんなこと”を主張するのです。
“こんなこと”と“あんなこと”は時間を水平的に捉えるつまり過去や未来を時間として捉えた結果発生する蜃気楼という映像であります。
一般に夢と称するものであります。
従って、過去から現在を通過して未来に向かう水平的な時間に思いを馳せることが自我意識の発生原因であり、“こんなこと”と“あんなこと”の囁きを繰り返す心(マインド)の虜になるのです。
継続の苦労が自我意識を落としてくれる結果、過去から現在を通過して未来に向かう水平的時間から、『今、ここ』という垂直の時間の始発点に立たせてくれます。
継続の苦労をすればするほど、垂直的な時間つまり虚時間の高みに誘ってくれるのです。
虚時間の高みに行けば行くほど、過去から現在を通過して未来に向かう水平的な時間が、実は時間ではなくて空間であることが鳥瞰することでわかってくる。
ひとたび決めたことは絶対に止めてはいけない、ひとたび決めたことを止めるたびに『今、ここ』を失う、『今、ここ』を失っていくということは、自己の人生を失っていくことに外ならないと申しました所以であります。
生きているということは『今、ここ』にいることに外ならないと気づくと、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄が対立要因ではなくて補完要因であることがわかってきて、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄が実体あるもので、生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国は死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄の単なる不在概念であることがわかってきます。
生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国が死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄の単なる不在概念であることがわかると、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄を否定的に捉えなくなり、四苦八苦こそ勘違いの人生であることに気づくのです。
継続の苦労をすることで四苦八苦の人生から脱出することです。
自然と一体で生きている他の生き物は自ずから継続の苦労をしているのです。
科学を発達させた人間だけが地震・津波や台風の犠牲に遭い、自然と一体で生きている他の生き物は地震・津波や台風の難から逃れられるのですが、それは彼らが地震・津波や台風を災難つまり四苦八苦と思っていないからに外なりません。