Chapter 696 21世紀は非連続の世紀(II)

わたしたち人類の歴史は、形態は変われども支配・被支配二層構造型社会の悲劇の歴史だったと言っても過言ではありません。
古代では奴隷制度による支配構造であり、中世では宗教による支配構造であり、近代では民主主義による支配構造であっただけで現代社会も何ら変わっていません。
民主主義は一般大衆のためのものであると思っているのは大いなる勘違いであるのです。
被支配者側が支配されていることに気づかない民主主義ほど巧妙な支配構造はありません。
奴隷制度は支配構造が明白な制度だった故に、支配者側は被支配者側による反乱・暴動に常に怯えていなければならなかった。
宗教が信仰から発展したきっかけは、奴隷の反乱・暴動を封じ込める策であったことを認識しなければ、近代の民主主義の正体を見抜くことはできません。
人類という腕力の極めて弱き動物が、生存競争つまり自然の食物連鎖と弱肉強食の自然淘汰の法則の中で生き残っていくために二本足動物に変身し、脳を進化させたことで知性を得、知性によって太陽の熱や光を武器にできることを知った結果、太陽を崇拝する信仰が芽生え、地上の覇者になり得た。
信仰が人類を地上の覇者にしたと言ってもいいでしょう。
外敵がいなくなった社会に内部紛争(内輪揉め)が起きるのは、人類社会だけに限ったものではなく、肉食動物の間では必ずボス争いが起きるのも、外敵がいなくなった結果の内部紛争(内輪揉め)であり、内敵の誕生であります。
外敵がいなくなった社会には必ず内敵が誕生する。
草食系の恐竜は内輪揉めがなかったが、肉食系の恐竜ではしょっちゅう内輪揉めが起こり、結果絶滅した。
身内による骨肉の争いとは、内敵の誕生の原理によるのです。
信仰が外敵を封じ込む最大の武器であったように、内敵を封じ込む最大の武器として宗教が信仰から進化したのが実態であって、宗教が内面性の問題つまり形而上学的と捉えられるようになったのは、被支配者側つまり奴隷が支配者側の束縛から解放してくれる救世主待望の考え方が芽生えてからのことです。
救世主待望の考え方も詰まる処、内敵対策であったわけで、信仰は外敵対策、宗教は内敵対策がその実体であります。
内敵対策の最大の武器であった宗教が、支配者側の力の源泉になったのが中世であります。
近代の幕開けはルネッサンスのように思われていますが、宗教勢力による支配構造に嫌気がさした結果の近代であって、宗教革命が近代幕開けの主役であったことを見逃してはなりません。
宗教が支配者側のものであったヨーロッパ中世社会では、キリスト教の教えは聖書によるのではなくて、教会の神父・牧師によるものでした。
聖書が非常に高価なもので、一般大衆の手に入るものではなかったからです。
15世紀にグーテンベルグによって凸版印刷機が発明された結果、それまで修道院で筆写されていた高価な聖書が一気に安価になって、一般大衆の手に届くようになった。
支配者側と結託した教会の神父や牧師の教えが、支配者側による一方的なものであることを知った一般大衆の後押しによって、カルビンやルターの宗教革命が起こり得たと言っても過言ではありません。
近代の幕はこうして切って降ろされたのですが、宗教革命によってアンチ・カトリックとして誕生したプロテスタントも所詮支配者側の論理に走り、ルネッサンス・産業革命も支配者側によって展開されていった結果、欧米列強による帝国主義植民地争いという、新たな内部紛争を生んでしまった。
帝国主義植民地競争は、自由主義と啓蒙主義思想(民主主義)の争いに展開し、自由主義から資本主義が、啓蒙主義思想(民主主義)から社会主義が誕生したのが20世紀初頭です。
自由主義(資本主義)に遅れをとった啓蒙主義思想(民主主義)が、啓蒙主義思想の原点にある有能な官僚による支配に傾倒していった結果、真の共産主義ではない似非共産主義としての社会主義を生み、自由主義(資本主義)との一騎打ちとなった冷戦へと繋がっていったのです。
20世紀までの人類の歴史は、人類全体の進化の歴史ではなく、飽くまでも支配者側のための進化の歴史であったということです。
逆に言えば、被支配者側にとっては後退の歴史であったと言えるのです。
支配者側の歴史から被支配者側の歴史というのではなく、支配・被支配二層構造型社会から支配・被支配二元論を超えた歴史でなければならない。
無知性の絶対一元論社会から有知性の絶対一元論つまり三元論社会にしなければならないのですが、その間に相対的一元論つまり二元論社会に嵌ってしまった20世紀までの人類社会でした。
静止の暗闇と沈黙の無の絶対宇宙と運動の光と音(喧騒)の有の全体宇宙との間にはニュートラル・ポイントという深淵(Abyss)が横たわっていてジャンプしなければならなかったように、太陽系惑星群と地球の間にもニュートラル・ポイントという深淵(Abyss)が横たわっていてジャンプしなければならなかったように、吸気(誕生)と呼気(死)の間にもニュートラル・ポイントという深淵(Abyss)が横たわっていてジャンプしなければ生は無いように、単細胞生命体から多細胞生命体、多細胞生命体から魚類・両生類・爬虫類・哺乳類・猿類・霊長類・原人・ホモサピエンス・新人そしてわたしたち人類という動物・植物・鉱物・分子・原子・原子核・素粒子それぞれの間にもニュートラル・ポイントという深淵(Abyss)が横たわっていてジャンプしなければならないように、連続と非連続が宇宙の歴史であるのです。
21世紀はまさに20世紀までとは非連続の世紀にしなければならないのです。