Chapter 699 『今、ここ』から『今』・『ここ』へ

物理的自由と精神的自由を兼ね具えた生き方こそ、『今、ここ』を生き切る生き方に外なりません。
『今、ここ』を生き切るとは、他の生き物が生きる『今、ここ』とは違います。
他の生き物は、『今、ここ』を一体で生きています。
つまり無知性の絶対一元論の世界で生きているのです。
わたしたち人間は知性を持った故に、「二元論」・「全体と部分の相対性の法則」・「在り方と考え方」の三つの法則の一面しか見ることができないのです。
N次元世界は(N-1)次元運動しかできない法則に従って、三次元立体物は二次元運動しかできない結果、わたしたちは自分が三次元立体物でありながら、二次元的にしか見る-見るというのも運動の形態の一つ-ことができないのです。
太陽系惑星群の公転運動は同一平面上でしかできないことがそのことを示しています。
円運動をするということは軸の周りを回転することであり、放射方向の遠心力(求心力)のベクトルと軸の周りの角運動量のベクトルを掛け合わせたらゼロ・ベクトルに必ずなり、ゼロ・ベクトルになるということは、掛け合わせた二つのベクトルが直角関係にあることを意味しているという行列式の定理に基づいているのです。
地球の公転軌道と太陽の中心にある公転軸とは直角、他の惑星の公転軌道と公転軸とも直角ということは、地球の公転軌道と他の惑星の公転軌道は同一平面上つまり二次元平面運動をしているわけです。
見るということは五感運動の一つであり、五感運動とは他者を感知することに外ならないのですから、他者はすべて二次元平面若しくは一次元直線でしか感知できない、つまり実在(実像)ではなく、虚像であるのです。
自分以外-目で見える自分の身体も他者という映像に過ぎない-のものはすべて映像である所以です。
三次元立体物として生きている限り、三次元実在を知ることは不可能なのです。
三次元実在を知るには、四次元世界に自己を置くしかないわけです。
『今、ここ』とは三次元世界と四次元世界の交差点であるわけで、四次元世界の入り口に立っているだけのことです。
他の生き物は、『今、ここ』に立って三次元世界つまり水平世界を五感で感知しているのです。
わたしたち悩める凡夫は、『今、ここ』に立っていながら、三次元世界つまり五感で感知した水平世界に心を置いている、つまり過去・未来に思いを馳せて生きているのであり、他の生き物が「在り方」一如であるのに対し、人間は「在り方と考え方」の分裂症状に陥っているのです。
「在り方と考え方」の分裂症状で生きていると、他の生き物のような絶対一元論的に生きることができず、相対的一元論で生きざるを得なくなるのです。
生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の十六通りの「二元論」を補完要因と捉えずに、対立要因と捉えることが相対的一元論に外ならないのです。
「二元論」の本質は二元を補完要因と捉えることであり、対立要因と捉えたら二元ではなくて相対一元になるのです。
病気を不幸の一因として捉えているわたしたち人間は、病気を忌み嫌い、健康を追い求めていますが、健康とは病気の不在概念であり、健康は実体あるものではないのです。
病気の無い状態を追い求めているだけであり、所詮、病気の程度の問題だけなのです。
つまり病気一元論の問題であり、一元論の程度の問題を相対的一元論と言うのであります。
生・死も、オス・メスも、善・悪も、強・弱も、賢・愚も、貧・富も、幸・不幸も、天国・地獄も、対立要因と捉えたら、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄の程度の問題に過ぎないのです。
三次元世界と四次元世界の交点である『今、ここ』に立って、四次元世界つまり垂直の世界に一歩を進めるしか、わたしたち人間に残された道は無いのです。
それは、『今、ここ』から、『今』と『ここ』を三元論的に生きる道です。