Chapter 700 宇宙船・地球号からのジャンプ

三元論的に生きるとは、四次元世界に生きることであります。
わたしたちが過去や未来に思いを馳せて、過ぎ去った過去を悔やんだり、未だ来ぬ未来を取り越し苦労したりする人生を送っているのは、二元論的に生きているからに外なりません。
ここで言う二元論的とは平面的すなわち水平的という意味で、過去から過去の一部であり未来の一部でもある現在を通って未来へと水平的に運動することであり、三次元立体(量)世界のことであります。
三次元立体(量)世界と四次元(質*量)世界との交点が『今、ここ』であります。
縦*横*高さの三次元座標軸に質の座標軸が交わる原点です。
縦*横*高さ=体積(嵩)が“多い少ない”の量的であるのに対し、四次元座標軸は“高い低い”の質的であるわけで、三次元座標軸すべてに対して、四次元座標軸は垂直関係にあります。
従って、三次元座標軸に沿って流れている時間-過去から未来へ水平的に流れている所謂時間-は四次元要因とはなり得ず、三次元座標軸すべてに垂直である質の世界の時間つまり虚時間でなければ四次元要因にはなり得ません。
更に、ハイゼンベルグの不確定性原理をも貫くためには、『今、ここ』の『今』と『ここ』は同時に確定できないことになる結果、『今、ここ』は三次元世界と四次元世界の交点ではなく、飽くまで仮想交点に過ぎません。
三次元立体(量)世界に生きているわたしたちなら、『今、ここ』の『ここ』にいることになり、四次元(質*量)世界に生きているわたしたちなら、『今、ここ』の『今』にいることになります。
わたしたちは宇宙船・地球号に乗って旅をしています。
つまり『今』にいるのであり、それがわたしたちの本来の「在り方」です。
わたしたちは宇宙船・地球号に乗って外の景色を見ています。
つまり『ここ』にいると思っている、それがわたしたちの「考え方」です。
他の生き物は外の景色を見たりしませんから、「在り方」一如で、『今』から『ここ』つまり宇宙船・地球号しか見ていません。
わたしたちは宇宙船・地球号から外の景色を見るから、宇宙船・地球号である『ここ』が見えずに、過去・現在・未来にいて連想ばかりして生きているのです。
他の生き物は無知性の絶対一元論世界を生きていますから、『今、ここ』が同時確定できなくても問題はありませんが、わたしたちは有知性の相対的一元論世界を生きていますから、早急に有知性の絶対一元論つまり三元論世界に移動しなければ、20世紀まで繰り返してきた差別・不条理・戦争から抜け出すことはできません。
有知性の絶対一元論つまり三元論世界は四次元世界であり、『今、ここ』一体ではなく、『今』と『ここ』に分かれます。
『今』は「在り方」そのものですから、虚時間つまり質的時間の上で生きていることの自覚が必要です。
『ここ』は本来の「考え方」ですから、自転速度が時速1875kmで公転速度が時速10万8000kmという猛烈なスピードの宇宙船・地球号から三次元立体(量)世界の四次元(質*量)世界との仮想交点である『ここ』に飛び下りる勇気が必要です。
過去・現在・未来に思いを馳せることは、宇宙船・地球号の中から窓外の景色を見ることであり、頭の中で連想ゲームに興じているだけで、実現する可能性はゼロの自己満足の世界です。
自転速度が時速1875kmで公転速度が時速10万8000kmという猛烈なスピードの宇宙船・地球号から三次元立体(量)世界の四次元(質*量)世界との仮想交点である『ここ』に飛び下りることこそが、本来の「考え方」であり、勇気が要りますが、有知性の絶対一元論世界つまり三元論世界しか生きる道はないのです。
わたしたち人間は勇気を奮って、『今』の宇宙船・地球号から、『ここ』に飛び下りることで本来の「在り方と考え方」を実現するしかないのです。
そのとき、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別という表裏一体の従来の人間社会から脱却した、「開放型自由社会主義」による、国家のない従って税務所・警察・軍隊もない「高度自由社会」が実現するのです。
21世紀を20世紀までとは非連続の世紀にしなければならない所以であります。