Chapter 704 八百長人間

人間は考える生き物であると言われていますが、果たしてわたしたち現代人は考える力を持っているでしょうか。
テレビ時代になってから、テレビで放送されているものを無条件で信じ込むようになっているように思えてなりません。
テレビ時代をつくった最大の番組がプロ野球とプロレスで、全国的には特にプロレスでした。
当時の人たちは力道山の空手チョップに興奮しましたが、いつごろからか、“あれは八百長ではないか?”と疑問に思う人が現れてきました。
しかし、“あれは本物だ!”と信じ込んでいる人たちが依然圧倒的でした。
今では誰もが、“あれは、八百長だ!”ということに疑いを持ちません。
今から500年ほど前に、コペルニクスが“天空が動いているのではなくて、地球が動いている”と主張しましたが、殆どの人は“自分たちの立っている所が動いている筈がないのだから、天空が動いているのは当たり前だ”と信じ込んでいました。
今では誰もが、“地球が動いているのは当たり前だ”ということに疑いを持ちません。
どうやら一般大衆という代物は自分で考えるという力を昔から持ち合わせていないらしい。
テレビという代物は、その誕生過程において既に“八百長”番組であったという点を、わたしたちは忘れてしまっています。
テレビという代物は、すべて“やらせ”の偽情報であるという点を、わたしたちは見逃しています。
人間は見る動物つまり視覚中心の生き物ですから、殆どの情報が目から映像で入ってくるわけで、映像を実体あるものと信じ込む性癖を旨く突いているのがテレビであります。
テレビはまさしく洗脳マシーンであり、洗脳マシーンは考える力を奪い取るのが目的であるのです。
現代人は考える力を失くしてしまっているのです。
洗脳マシーンの元祖は子供を生んだ母親です。
純真無垢な子供を、“これをやってはいけません!”“あれをやってはいけません!”と、躾という名の下に自分の都合のいいように洗脳する。
この洗脳作業が7才ぐらいから効力を発揮しはじめ、宇宙意識・地球意識と通じている質的記憶は潜在意識の底深くに沈められ、“これをやってはいけません!”“あれをやってはいけません!”をベースにした人間社会だけに通じる量的記憶を溜めはじめるわけです。
純真無垢な子供は本質を突いた実に鋭い質問を大人に発します。
“これをやってはいけません!”“あれをやってはいけません!”に洗脳された子供は、親特に母親の顔を窺って迎合した言葉しか発しません。
現代日本社会と戦前・戦後の日本社会との顕著な違いは、親の威厳の変化にあります。
父親の威厳が重視されたのが戦前・戦後の日本社会でしたが、母親の威厳が重視されているのが現代の日本社会であります。
現代の日本の子供は母親の顔ばかりを窺って育っている。
家庭の財務大臣が母親になった点も大きな問題ではありますが、最大の問題点は母親による子供の躾の質の変化にあるのです。
戦前・戦後の母親の躾は厳しさの中に優しさがありました。
現代の母親の躾は自分勝手な厳しさであります。
子供の欲しがるものは何でも買い与えながら、“我が子か?”と疑いたくなるような憎しみの籠もった叱り方をする。
古今東西の支配者が被支配者を支配する方法の切り札は“飴と鞭”でした。
現代日本社会の母親の躾はまさしく“飴と鞭”という、支配・被支配二層構造に根ざしたやり方であり、母親が支配者、子供は奴隷であるのです。
奴隷である子供は大人になると反抗するだろうし、奴隷という虫けらであると思われているからこそ、昨今のような子供を標的にした殺人が頻発するのです。
子供をまるで蟻のように踏み殺す。
親特に母親のエゴが子供を洗脳することで奴隷にしてしまっているのです。
母親によって洗脳された量的記憶は連想によって蓄積され、考えるということは喜怒哀楽の感情の連鎖反応であると信じ込んでしまっているのです。
“ムシャクシャしたから、目の前にいた赤ん坊を刺し殺した”
喜怒哀楽の感情が行動のベースになった結果であります。
“ムシャクシャするが、何か解消する方法はないだろうか?”には、考えが入っています。
“?”が考えることに外なりません。
八百長人間を生み出すマシーンである母親の躾が早急に必要です。