Chapter 705 分裂動物・人間

地球の物質の一つである、わたしたち人間でありますから、地球の四十八の法則を厳守しなければ存在は許されません。
“地球環境が汚染され住み難くなってきたら、他の星に移住すればいいではないか”と考えるのは浅薄です。
量的記憶をベースにした連想の産物であり、アメリカを筆頭に日本や他の先進諸国民の「考え方」であり、所詮地球の法則・宇宙の法則に違反しているのですから、何れ反動が表れる。
昨今の自然災害の発生が先進諸国に集中しているのがその証左であります。
量的記憶とは連想の為せる業であり、地球の四十八の法則の基本を成す「二元論」・「全体と部分の相対性の法則」・「在り方と考え方」の固有面しか理解していない結果であります。
質的記憶には無知性と有知性の二種類があって、有知性の質的記憶が真の「考え方」であり、無知性の質的記憶は、「二元論」・「全体と部分の相対性の法則」・「在り方と考え方」の共通面を顕現した生き方であるのに対して、有知性の質的記憶は、「二元論」・「全体と部分の相対性の法則」・「在り方と考え方」をトータルに顕現した生き方であります。
わたしたち知性を有した人間は、矛盾した混沌の三次元世界に生きながら、完結した整然の四次元世界にも生きているのです。
運動の光と音(喧騒)の混沌の世界に生きながらも、静止の暗闇と沈黙の整然とした世界にも生きているのです。
まさしく、「色即是空・空即是色」の色は三次元量的世界、空は四次元質的世界のことであります。
無知性の他の生き物や、親からの洗脳汚染を受けていない子供は、「絶対一元論」・「全体観」・「在り方」という三つの法則の共通面で生きています。
有知性のわたしたち人間は、“これをやってはいけません!”“あれをやってはいけません!”という母親からの躾という名の下の洗脳作業を受けた結果、「絶対一元論」という「二元論」の共通面から「相対的一元論」という「二元論」の固有面の方を重視せざるを得なくなり、質的記憶は潜在意識の底深くに沈み、量的記憶が顕在意識の表面に出しゃばるようになった。
地球の十六通りの「二元論」である、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の本来性は補完関係にあるのに、対立要因と捉えるようになり、対立要因の実体ある死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄を否定要因と考えるようになった原因が、母親による“これをやってはいけません!”“あれをやってはいけません!”であるのです。
“人のものを盗んではいけません”
“人を殺してはいけません”
“人を犯してはいけません”
「絶対一元論」の他の生き物や、人間の子供の世界では、盗む行為を盗みとは捉えていないし、殺す行為を殺しとは捉えていないし、犯す行為を犯すとは捉えていません。
「二元論」の世界では、盗む行為や殺す行為や犯す行為を生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の何れかに当て嵌めることはしていません。
殺す行為も、衣・食・住に関わる時には善い行為であり、それ以外の時には悪い行為である。
盗む行為も、衣・食・住に関わる時には賢い行為であり、それ以外の時には愚かな行為である。
犯す行為も、衣・食・住に関わる時には強い行為であり、それ以外の時には弱い行為である。
地球の十六通りの「二元論」である生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄は飽くまで補完関係にあり、実体ある法則つまり掟として在るのは、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄面であるのです。
ところが知性を有した人間だけが、「二元論」・「全体と部分の相対性の法則」・「在り方と考え方」の固有面を重視するようになった。
“人のものを盗んではいけません”
“人を殺してはいけません”
“人を犯してはいけません”
母親による洗脳作業ではじまり、矛盾した混沌の三次元世界に生きながら、完結した整然の四次元世界にも生きるという分裂人生になったのです。
運動の光と音(喧騒)の混沌の世界に生きながらも、静止の暗闇と沈黙の整然とした世界にも生きるという、四苦八苦の人生になったのです。