Chapter 706 四苦八苦の正体

四苦八苦の人生など本来ありません。
人生とは誕生という始まりの点(無から有への分節点)があって、死という終わりの点(有から無への分節点)があって、その間に生きるという運動がある円回帰運動に過ぎないのです。
誕生・生・死という円回帰運動は、運動の光と音(喧騒)の全体宇宙に存在する物質すべてにとっての基本の法則です。
150億光年の拡がりを持つ全体宇宙にも誕生・生・死がある。
銀河といった星雲宇宙にも誕生・生・死がある。
太陽といった恒星にも誕生・生・死がある。
地球といった惑星にも誕生・生・死がある。
月といった衛星にも誕生・生・死がある。
地球上の動物・植物・鉱物・分子・原子・原子核・素粒子にも誕生・生・死がある。
人間といった動物にも誕生・生・死がある。
マクロ世界からミクロ世界までを貫く誕生・生・死という三つの法則であります。
人間が四苦八苦の人生を送っているからと言って、マクロ世界の全体宇宙からミクロ世界の素粒子まで、みんな四苦八苦しているのでしょうか。
人間という動物に最も身近な動物・植物・鉱物は四苦八苦しているのでしょうか。
宇宙の中の塵のような存在である人間だけが特別に四苦八苦しているのでしょうか。
人間だけにある四苦八苦を、お釈迦さんは生老病死の四苦特に死の問題に根源があると喝破された。
宇宙の中の塵のような存在である人間だけに死があるのではなくて、すべての存在するものに死があるのに、何故人間だけが死を苦と捉えるのでしょうか。
誰かが最初にボタンの掛け間違いをした。
お釈迦さんは28才まで死の存在を知らなかった。
死の存在を知ってはじめて、四苦八苦する人間になったのです。
わたしたち凡夫は7才ぐらいで、死の存在を知って四苦八苦する人間になるのに、お釈迦さんは28才で死を知るまで四苦八苦を知らなかった。
宇宙も、星雲も、恒星も、惑星も、地球も、月も、他の動物も、植物も、鉱物も、分子も、原子も、原子核も、素粒子も死の存在を知っているわけではありません。
彼らは、誕生・生・死が一つの法則から分化された三つの法則であることを無意識の内に知ってはいますが、死だけを知っているわけではありません。
人間だけが誕生・生・死を三つの別のものと区分け(差別化)してしまった。
それが知性であります。
知性の正体とは区分け(差別化)にある。
知性とは進化では断じてないのです。
人類は知性が進化の原動力だと信じてきましたが、誕生つまりプラスと死つまりマイナスの間にある無数のニュートラル(0)・ポイントである生には、膨張と収縮という過程があって、膨張過程を進化と人間だけが区分け(差別化)しただけのことで、進化という概念など本来無いのです。
区分け(差別化)が正体である知性が、進化という概念をつくったのです。
進化があれば退化が必ずあるのが宇宙を貫く法則です。
ところが人間は進化だけを選んで退化を無視する。
生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の二元要因を対立関係と捉えたのも、知性という区分け(差別化)であり、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄を否定概念と捉え、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄の単なる不在概念である生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国を肯定概念つまり好いものだと捉えたのも、知性が為した区分け(差別化)に因るものであります。
区分け(差別化)をする知性がある限り、人間は四苦八苦をします。
区分け(差別化)をしなくなった時、人間は四苦八苦をしなくなります。
区分け(差別化)が四苦八苦の正体であります。
差別・不条理・戦争の無い社会にしない限り、人間は四苦八苦し続けるのです。
人間が持つ知性が生んだ最大の区分け(差別化)が世襲・相続の考え方であり、支配・被支配二層構造社会であります。