Chapter 709 死(誕生)

過去や未来に思いを馳せて生きることは、『今』も映像を観ているのですから、『ここ』は現実の世界ではなくて、夢の世界であります。
過去や未来に思いを馳せるということは追憶するということですから、夢であるのは当然であり、記憶や追憶とは時間ではなくて空間(景色)であるわけで、観ているのは『ここ』という空間軸に展開される映像(景色)であります。
『ここ』という空間軸は、『今』という時間軸の流れに沿っての動画面であります。
一枚一枚の静止画面を重ねた動画面が空間軸の正体であり、一枚一枚の静止画面こそが、流れる『今』という時間軸との仮想交点である『ここ』です。
静止画面は『ここ』です。
動画面は記憶・追憶(夢)です。
静止画の夢を観たことがない所以であります。
目が醒めている所謂現実も動画面であれば夢であります。
実在するもの、つまり唯一の自分は一枚の静止画でありますから、映像としては観ることができません。
映像を観るためには映写機を回さなければならない。
人生の映写機を回すとは、過去や未来に思いを馳せる記憶を辿る行為つまり追憶であり、まさしく夢であります。
『今、ここ』では自我意識が依然残っていますが、『今、ここ』から『ここ』にジャンプするには自我意識が残っていてはできません。
自己の人生の映写機を止めなければならないからです。
人生の映写機を絶対止めなければならないのが死と対峙した時ですが、実は夢の人生から現実の人生に脱却しようとするなら、やはり人生の映写機を止めなければならないのです。
突き詰めてみれば、人生つまり生きるということは死の連続に外ならないのです。
運動の光と音(喧騒)の全体宇宙には誕生・生・死という三つの法則があるから、すべてのものが円回帰運動している。
誕生が原点(始点)であり、死が終点であり、その間に円周という無数のニュートラル・ポイントがある。
円を描くには原点(始点)から円周を描いて始点(終点)に戻るという動作が要る。
円を描くという動作は動画面であり、原点という静止画の連続動作ですから、映写機を止めれば在るのは原点だけであります。
原点(始点)は誕生であり、終点は死でありますが、間に生という円周があるから始点と終点に区分け(差別化)するだけで、基を質せば原点しかないのです。
実在の人生とは誕生の連続であり、死の連続でもあるわけです。
『今、ここ』は誕生であり、死に外ならないのです。
自己の誕生であり、自己の死であるのです。
誕生と死を二元論と捉えてはじめて生がある。
誕生=死と絶対一元論で捉えると生はなくなる。
死がニュートラル性を持った実体ある唯一のものである所以です。