Chapter 710 生

わたしたち生きているものは必ず死ぬ。
生きているものにとって唯一確実な未来予測できるものが死であります。
死ぬこと以外確実なものは一切ない。
“ああなって、こうなって・・・”
そんな思惑は一切起こらないのが人生であります。
ところが愚かな人間は、人生の大半を“ああなって、こうなって・・・”と連想して生きています。
“ああなって、こうなって・・・そしてやがて死ぬ”
これならまだましです。
“ああなって、こうなって・・・そしてやがて死ぬ”の“・・・そしてやがて死ぬ”から目を逸らして生きている。
こんな生き方は凡そ生きているとは言えません。
“ああなって、こうなって・・・そしてやがて死ぬ”の“ああなって、こうなって・・・”を止めて、“・・・そしてやがて死ぬ”だけが残る。
こんな生き方が本当に生きていることになるのです。
どんな連想をしても最後には、“・・・そしてやがて死ぬ”で終わる。
連想が如何に無意味なものであるかを思い知る筈であります。
そこから初めて、“考える”生き方が始まるのであり、“死”の本質がわかるのです。
“生きるとは死の連続である”ことがわかるのです。
連想つまり感情の連鎖反応で生きている限り、生きているのでもなく、況してや、死に直面しているわけでもなく、従って過去の唯一確実だった誕生をも忘却しているわけですから、運動の光と音(喧騒)の宇宙にとっての絶対法則である誕生・生・死の三つの法則を全く顕現していないのであります。
誕生・生・死の三つの法則から分化されて、地球という肉体と五感が生まれ、地球の意識と「想い」も誕生し、その結果、四十八通りの法則に縛られるようになったのが、地球上に存在するすべての物質であり、その中の一つがわたしたち人間に過ぎないのです。
誕生・生・死の三つの法則を全く顕現していないのは、わたしたち人間だけであります。
四十八の法則を顕現していないということであります。
死は善くないが生は善い。
メスは善くないがオスは善い。
悪は善くないが善は善い。
弱は善くないが強は善い。
愚は善くないが賢は善い。
貧は善くないが富は善い。
不幸は善くないが幸福は善い。
地獄は善くないが天国は善い。
と連想するようになったのです。
四十八の法則を顕現した生き方をする。
生と死(誕生)は同じで、生・死は死の連続に外ならない。
メスとオスは同じで、オス・メスはメスの連続に外ならない。
善と悪は同じで、善・悪は悪の連続に外ならない。
強と弱は同じで、強・弱は弱の連続に外ならない。
賢と愚は同じで、賢・愚は愚の連続に外ならない。
貧と富は同じで、貧・富は貧の連続に外ならない。
幸福と不幸は同じで、幸・不幸は不幸の連続に外ならない。
天国と地獄は同じで、天国・地獄は地獄の連続に外ならない。
これが生に対する本当の考え方なのです。