Chapter 715 月への切符

地球上では四十八通りの法則だったものが、月では九十六通りの法則に細分化されます。
細分化されるということは、より精妙化されると言ってもいいでしょう。
運動の光と音(喧騒)の全体宇宙での誕生・生・死という三つの基本法則が、星雲レベルでは六通りの法則に、恒星レベルでは十二通りの法則に、惑星群レベルでは二十四通りの法則に、惑星レベルでは四十八通りの法則に、そして衛星レベルでは九十六通りの法則に精妙化される。
(円回帰)運動する上においての基本動作が誕生(プラス)・生(ニュートラル)・死(マイナス)の三つに集約されるわけです。
円を描くには原点(始点)から始まり、円周を描き、原点(終点)に戻るという動作が要るわけです。
運動の光と音(喧騒)の全体宇宙では誕生・生・死という三つの基本法則があると申しましたが、原点(始点)から始まり、円周を描き、原点(終点)に戻るという円回帰運動をしていると表現した方が宇宙レベルではわかり易いでしょう。
誕生・生・死という表現は所詮人間レベルの表現であって、他の生き物には誕生・生・死という表現は使いません。
殺す・盗むという表現が人間社会だけにあって、他の生き物の世界では殺す殺される行為・盗む盗まれる行為自体はあっても、殺す・盗むという表現は一切ないように、誕生・生・死という表現は、飽くまで人間社会だけに通用するのであります。
誕生とは生の始まりの点(始点)であり、死とは生の終わりの点(終点)であり、その間の円周を描くという動作が円運動であるだけです。
静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙では、一切が結晶化された静寂の世界であるのに対し、運動の光と音(喧騒)の全体宇宙では、一切が始まりがあって膨張と収縮の円運動をして終わりの点に戻る世界であるのです。
従って、わたしたちが恐れている死の正体とは、誕生した原点(始点)に終点(原点)として戻ることに外ならないことを理解すべきであります。
更に、その間の生という円運動も原点の連続に過ぎないことを理解すべきであります。
運動とは二点間を往来することを言います。
二点があってはじめて運動が生じる。
原点が始点と終点の二点になったから、円運動が生じるのです。
静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙では、すべてが唯一ですから運動しようがないのです。
ビッグバンという誕生があったから死があって、誕生から死に向かうのが円運動であるわけです。
生まれた限りは死ぬまで生きるのが、運動の光と音(喧騒)の宇宙に存在するすべての物質の決まりなのです。
誕生・生・死という三つの基本法則が、惑星レベルでは四十八通りに精妙化した結果、十六通りの「二元論」・十六通りの「全体と部分の相対性の法則」・十六通りの「在り方と考え方」に細分化されたわけです。
十六通りの「二元論」である生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄は誕生・生・死という三つの法則の誕生・死が細分化されたものであり、生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国は誕生・生・死という三つの法則の生が細分化されたものであります。
十六通りの「全体と部分の相対性の法則」は星(地球)の肉体・五感、動物の肉体・五感、植物の肉体・五感、鉱物の肉体・五感、分子の肉体・五感、原子の肉体・五感、原子核の肉体・五感、素粒子の肉体・五感という全体観と部分観に細分化されたものであり、星・動物・植物・鉱物・分子・原子・原子核・素粒子の肉体は誕生・生・死という三つの法則の誕生・死が細分化されたものであり、星・動物・植物・鉱物・分子・原子・原子核・素粒子の五感は誕生・生・死という三つの法則の生が細分化されたものであります。
十六通りの「在り方と考え方」である線・距離・線運動・線運動量、平面・面積・平面運動・平面運動量、立体・体積・立体運動・立体運動量、質・質量・円回帰運動・円回帰運動量の線・線運動・平面・平面運動・立体・立体運動・質・円回帰運動は誕生・生・死という三つの法則の誕生・死が細分化されたものであり、距離・線運動量・面積・平面運動量・体積・立体運動量・質量・円回帰運動量は誕生・生・死という三つの法則の生が細分化されたものであります。
誕生・生・死という三つの基本法則が、地球レベルの四十八通りになることで、「二元論」・「全体と部分の相対性の法則」・「在り方と考え方」に細分化されたと言ってもいいでしょう。
月では誕生・生・死という三つの法則が更に九十六通りに精妙化される。
地球の四十八通りの法則においても、
生と死(誕生)は同じで、生・死は死の連続に外ならない。
メスとオスは同じで、オス・メスはメスの連続に外ならない。
善と悪は同じで、善・悪は悪の連続に外ならない。
強と弱は同じで、強・弱は弱の連続に外ならない。
賢と愚は同じで、賢・愚は愚の連続に外ならない。
貧と富は同じで、貧・富は貧の連続に外ならない。
幸福と不幸は同じで、幸・不幸は不幸の連続に外ならない。
天国と地獄は同じで、天国・地獄は地獄の連続に外ならない。
であるのに、わたしたち人間だけが、
死は善くないが生は善い。
メスは善くないがオスは善い。
悪は善くないが善は善い。
弱は善くない強は善い。
愚は善くないが賢は善い。
貧は善くないが富は善い。
不幸は善くないが幸福は善い。
地獄は善くないが天国は善い。
と四十八通りの法則を顕現していない状況下で、更に精妙化された月の「想い」に適うことは極めて困難であります。
拙著「神の自叙伝」で×印のついた人間こそが、
死は善くないが生は善い。
メスは善くないがオスは善い。
悪は善くないが善は善い。
弱は善くない強は善い。
愚は善くないが賢は善い。
貧は善くないが富は善い。
不幸は善くないが幸福は善い。
地獄は善くないが天国は善い。
と想っている人間であって、
生と死(誕生)は同じで、生・死は死の連続に外ならない。
メスとオスは同じで、オス・メスはメスの連続に外ならない。
善と悪は同じで、善・悪は悪の連続に外ならない。
強と弱は同じで、強・弱は弱の連続に外ならない。
賢と愚は同じで、賢・愚は愚の連続に外ならない。
貧と富は同じで、貧・富は貧の連続に外ならない。
幸福と不幸は同じで、幸・不幸は不幸の連続に外ならない。
天国と地獄は同じで、天国・地獄は地獄の連続に外ならない。
と考えている人間が月への切符を獲得できるのです。