Chapter 716 果てしない旅

わたしたちは何事も善い悪いで判断してしまう性癖を有しています。
一見論理的に思えますが、全く非論理的です。
一見二元論的に思えますが、相対的一元論です。
しかも追い求めているものは“善いもの”という実体のない“もの”です。
相対的一元論で実体ある“もの”は“悪いもの”で、“善いもの”は“悪いもの”の不在概念に過ぎないことがわかっていないのです。
相対的一元論で“悪いもの”と表現していますが、絶対一元論では“悪いもの”の“悪い”がなくなって“もの”だけになっています。
たとえば、殺すという行為は相対的一元論では“悪いもの”でありますが、絶対一元論では、只“殺す”だけで、悪いも善いもありません。
円回帰運動の原点(始点)の誕生です。
ところが知性という区分け(差別化)する力を持つようになった人類は、殺すことは善くないつまり悪いことで、殺さないことは善いことだと区分け(差別化)するようになった。
円回帰運動の原点(始点)が円を描きはじめたわけです。
相対的一元論です。
しかし在概念とその不在概念というものは表裏一体の関係にあるものですから切り離すことができないのが本質であります。
円回帰運動の原点(始点)が円を描き終わって原点(始点)が終点であることがわかったのです。
二元論です。
始点に戻った原点が再び円回帰運動を繰り返す、つまり果てしない無限運動を円周という有限空間で繰り返すことで、始点も終点も無い、逆に言えば常に始点であり終点である原点が只円を描いているだけであることがわかってくる。
有知性の絶対一元論つまり三元論であります。
わたしたち人類は円を描いている途中の過程にあると言えます。
まさに生を意識して生きているわけで、絶対一元論の世界で生きている他の生き物は死(誕生)を意識しても生を意識していないのに、わたしたち人類だけは生を意識している所以であります。
エデンの園を追放された時から、わたしたち人類は円回帰運動に旅立ったのであります。
他の生き物たちは原点に止まったままです。
円回帰運動を一回完結すると、原点が円を描いているだけで始点も終点も原点であることがわかるのですが、未だ一回目の円回帰運動の途中である結果、始点と終点が同じであることに確信が持てない不安状態にあるのが、わたしたち人類であります。
わたしたちだけが四苦八苦する所以がここにあります。
早く円回帰運動を完結することです。
しかし、何処が終点なのか、つまり何時死ぬのか、誰にもわかりません。
見えないゴールを目指して生きることは苦痛です。
足下を見つめて生きるしかありません。
足下こそが、『今、ここ』であります。