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Chapter 718 考え方を見直す時期がやってきた(2) 死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄を、否定的な要因と捉えるようになった最大の原因が、人類の祖先が弱者の立場の生き物であったからだと申しました。 殺しという行為、盗むという行為が、殺す側と殺される側、盗む側と盗まれる側を生む。 殺す側を強者。 盗む側を強者。 殺される側を弱者。 盗まれる側を弱者。 人類の祖先が知性を得た時、そう思ったわけです。 強者の立場からすれば殺す・盗む行為は、自己が生きるオス的行為であり、善的行為であり、強者の行為であり、賢明な行為であり、富む行為であり、幸福になる行為であり、天国の行為であるわけです。 弱者の立場からすれば殺される・盗まれる行為は、自己が死ぬ-つまり産む-メス的行為であり、悪の行為であり、弱者の行為であり、愚かな行為であり、貧する行為であり、不幸な行為であり、地獄の行為であるわけです。 弱者の立場の生き物であった人類が知性を得た時、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄を否定的に捉えた理由であります。 自然の食物連鎖の中にも、「全体と部分の相対性の法則」は厳然と働いていますから、強者は常に強者ではなく、弱者でもあり、弱者も常に弱者ではなく、強者でもあります。 ライオンとシマウマの間ではライオンが強者でシマウマが弱者ですが、シマウマと草の間ではシマウマが強者で草が弱者です。 シマウマと草の間ではシマウマが強者で草が弱者ですが、草と土の間では草が強者で土が弱者です。 草と土の間では草が強者で土が弱者ですが、土とライオンの間では土が強者でライオンが弱者です。 死んだライオンは土に吸収されてしまいます。 そうしますと、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄にも必ずコインの反面があることがわかってきます。 反面こそが二元論の補完要因である生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国に外なりません。 対立要因はコインの両面ではなくて、それぞれが一枚の独立したコインであります。 死があってはじめて生がある。 メスがあってはじめてオスがある。 悪があってはじめて善がある。 弱があってはじめて強がある。 愚があってはじめて賢がある。 貧があってはじめて富がある。 不幸があってはじめて幸福がある。 地獄があってはじめて天国がある。 更に知性を本当に考えることに使うことで、以下のような考え方ができるようになります。 死があってはじめて生の喜びがある。 メスがあってはじめてオスの喜びがある。 悪があってはじめて善の喜びがある。 弱があってはじめて強の喜びがある。 愚があってはじめて賢の喜びがある。 貧があってはじめて富の喜びがある。 不幸があってはじめて幸福の喜びがある。 地獄があってはじめて天国の喜びがある。 老いることではじめて若さの喜びがある。 病むことではじめて健康の喜びがある。 老いること、病気になることは、全面否定的なものではなく、必ず肯定的反面があるのです。 四苦八苦の人生の中での生老病死の四苦ですが、老いる苦と病気の苦の両端に生と死の苦があると申しました。 老いる苦、病気の苦を生きる苦と捉えるか、死の苦と捉えるか。 生きる苦がなければ、老いる苦、病気の苦は死の苦となる。 死の苦がなければ、老いる苦、病気の苦は生きる苦となる。 現在を過去の一部であると捉えると、老いる苦、病気の苦は生きる苦となる。 現在を未来の一部であると捉えると、老いる苦、病気の苦は死の苦となる。 しかしこれらの発想は感情の連鎖反応である連想の為せる結果であります。 過去や未来に思いを馳せる時間を量的に捉える水平的発想の為せる結果であります。 『今、ここ』から『ここ』にジャンプする勇気を奮えば、時間を質的に捉える垂直的発想つまり本当に考えることができるようになります。 本当に考える世界では、年齢は量的時間ではなくて質的時間によって決まるのであって、年齢が少ない多いという判断ではなくて、年齢が高い低いという判断であり、老い若いの問題と年齢の問題とは関係がない世界が本当の世界であるのです。 わたしたちは今まで、年齢の少ないのと年齢の低いのを同じだと勘違いし、年齢の多いのと年齢の高いのを同じだと勘違いしてきました。 年齢の多い少ないは、過去や未来に思いを馳せ、時間を量的に捉える水平的発想の生き方の基準であります。 年齢の高い低いは、『今、ここ』という時間を質的に捉える垂直的発想の生き方の基準であります。 まさしく考え方を見直す時期がやってきたのであります。 |