Chapter 722 男性社会から女性社会へ

哲学とは受け身の学問であります。
科学とは攻めの学問であります。
しかも科学は哲学の不在概念に過ぎず、実体のないものであります。
すべてのものごとは同じ理屈で成り立っています。
つまり受け身になってはじめて創造的なことが可能になり、攻めている間は何事も成就しないのです。
科学者でも何事かを成就した者は受け身になった、つまり科学者の考え方-実際には本当の考え方ではなく感情の連鎖反応である連想しているだけに過ぎない似非科学者・二流三流科学者-から哲学者の考え方になったからであります。
必死に絞り出そうとしている間は連想の域ですから何事も成就しないのに、自然に湧き出てきてはじめて新しい発見・発明ができるのです。
二流・三流科学者つまり大半の大学教授を筆頭の連中は、結局の処、創造的な仕事も成し遂げることなく、白い巨塔でふんぞり返る一生を送っておるだけであります。
彼らは所詮哲学的発想ができない体質なのです。
彼らは所詮拝金主義思想者であるのです。
教授のポストを必死に目指しているだけのことで、企業に入って出世欲に振り回されている会社員と何ら変わらないビジネスマンなのです。
拝金主義イコールこの世的成功の追求です。
拙著「富裕論」で、金持ちの時代であった二十世紀から、二十一世紀は徳持ちの時代になると書きました。
二十世紀までは、男性による科学・差別・不条理・戦争の組織社会でした。
二十一世紀は、女性による哲学・平等・公正・共生の個人社会になります。
男性社会から女性社会に変化します。
膨張の過程から収縮の過程に反転します。
その絶対条件は生と死の間を絡み合うオス・メスがそれぞれオスらしく、メスらしく在ることです。
ところが拝金主義に塗れている現代社会は、オスがメスらしくなり、メスがオスらしくどんどんなっていて、このまま続けば人類という種は絶滅の危機に瀕することになります。
今こそ、オスはオスらしく、メスはメスらしくならなければなりません。
スカートをはく女性が激減し、ズボン-今ではパンツと言うらしいですが-しかはかない女性が激増している世相ですが、それならズボンをはく男性が激減し、スカートをはく男性が何故激増しないのでしょうか。
その方がまだバランスが取れているだけましです。
生命体が存在する地球上では、オス・メス社会が基本なのに、ズボンをはいたオスばかりの社会など存続できる筈がありません。
だからずっと生き続ける方法を考える阿呆な科学者が生まれてくるのです。
母なる大地・地球ではオスとメスが生と死の間を絡み合うのが決まりなのであります。