Chapter 724 病(やまい)は友達

オスとメスが反転する時代に既に突入していると申しましたが、宇宙も膨張から収縮に既に反転しているかも知れません。
わたしたちは、そんな分水嶺の時代に立っているのでしょうか。
そのことを明確にしてくれるのが二十一世紀であることは間違いないでしょう。
十六通りの二元論である、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄もすべて反転することになります。
二十世紀までの人類社会は実体のない生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国を追いかける、差別・不条理・戦争の男性社会でした。
生きる中での天国(浄土)を追い求め、幸福を願い、富を追求し、その実現の為には賢明で強くなければならないオス中心の社会をつくってきました。
しかし結果は無惨なものであったことは差別・不条理・戦争の現代社会が物語っています。
追い求めたものは何も得られなかった。
まさに四苦八苦の一つである「求不得苦」であったわけです。
釈迦が生まれた時代に既に「求不得苦」があったわけですから、人類の歴史は物質文明では進化したかも知れないが、精神面では全く進化していないと言っても過言ではありません。
二千五百年も前に、“求めれば得られない”真理を分かっていたのにも拘わらず、未だに実体のないものを追いかける人類は、男性社会が間違いの根源であることに、もういい加減気づかなければなりません。
死(誕生)に原点がある地獄的現象が現実であり、不幸が実在であり、その現象として貧や弱が表われる悪的現象のメス社会が実体あるものなのです。
否定的表現のオンパレードのような印象を持たれるでしょうが、それは人間社会だけの印象であって、他の生き物つまり宇宙レベルでの全体観では至極当然のことであります。
地獄を心身面で克服した処に唯一の天国があるのです。
不幸を心身面で克服した処に唯一の幸福があるのです。
貧(まずしさ)を心身面で克服した処に唯一の富(ゆたかさ)があるのです。
愚(おろかさ)を心身面で克服した処に唯一の賢(かしこさ)があるのです。
弱(よわさ)を心身面で克服した処に唯一の強(つよさ)があるのです。
悪を心身面で克服した処に唯一の善があるのです。
メスを心身面で克服した処に唯一のオスがあるのです。
死を心身面で克服した処に唯一の生があるのです。
老(おい)を心身面で克服した処に唯一の若(わかさ)があるのです。
病(やまい)を心身面で克服した処に唯一の健(すこやかさ)があるのです。
二十世紀が物質面の富(ゆたかさ)を追求する結果、拝金主義化が高じて、老と病の苦が頂点に達しました。
富(ゆたかさ)では老・病の問題は解決してくれないからです。
秦の始皇帝が不老長寿の薬を追い求めたことは有名な話であり、現代版・秦の始皇帝もやはり不老長寿の薬を追い求めて、“喜ばし組”なるハーレムをいくらつくっても、富(ゆたかさ)では老・病の問題は解決しないどころか、ますます大きくなるのです。
老・病の問題を解決するには、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄でしかできないのであって、それを生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国で解決しようとするのが土台無理な話であります。
特に二十一世紀に入って、病が深刻な問題であります。
病気が深刻な問題なのではなくて、病気の解決方法に深刻な問題が起こっているのです。
病(やまい)を心身面で克服した処に唯一の健(すこやかさ)があることをモットーにした聖職者としての医者が激減し、拝金主義化したビジネスマンとしての医者が殆どになってしまっています。
病(やまい)を心身面で克服した処に唯一の健(すこやかさ)がある、つまり病(やまい)のことを、わたしたち自身がよく知らなければなりません。
そのためには、病(やまい)を忌避せずに、仲良くなることが基本であります。