Chapter 737 人間が行き着く世界

『今、ここ』の『今』の在り方にいれば、他の生き物と同じように地球という全体と一体観を持つことができるから病気になる、つまり病(やまい)の丙状態になるようなことはありません。
不死とは全体観のことであり、死とは部分観のことだと言ってもいいでしょう。
有知性の生き物になったわたしたち人間は、「在り方と考え方」の二通りで生きる宿命を背負ってしまった結果、病(やまい)の甲・乙・丙状態を円回帰運動する羽目に陥ったとも言えます。
逆に言えば、無知性の絶対一元論の世界から二元論を通過(経験)して、有知性の絶対一元論、つまり三元論の世界への登竜門に立ったとも言えます。
裏目が出れば相対的一元論の世界に嵌り込み、四苦八苦の人生が待ち受けているが、表目が出れば三元論世界に入ることができるわけです。
三元論世界のことを宗教では悟りの境地と言うのです。
わたしたち凡夫は相対的一元論の呪縛の中で、病(やまい)の甲・乙・丙状態を往来して四苦八苦しているのです。
有知性の絶対一元論の世界と無知性の絶対一元論の世界の間に二元論という橋が掛かっており、二元論という橋が橋の下の三途の川という鏡に映し出された映像が相対的一元論であるわけです。
犬が池に映っている自分の姿を見て吠えているのと同じことを、わたしたちはして生きているのです。
“ある国の王様が千枚の鏡張りの部屋をつくって、そこに一匹の犬を放り込んだ。
犬は鏡に映っている千匹の犬に対して恐怖のあまり吠えた。
そうすると千匹の犬が吠え返した。
王様が鏡の部屋に入ってみると、その犬はかすり傷ひとつ負っていないのに、死んでいた”
わたしたちはこの犬と同じことをして生きているのです。
二元論という橋の上にいながら、三途の川の水面に映っている相対的一元論を見て恐怖で吠えているのです。
生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・若・老、健・病は補完関係にあるのに、生・オス・強・賢・富・幸福・天国・・・若・健を求めて、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄・・・老・病を避けて生きていることは、まさしく二元論の橋の上から相対的一元論の映像を現実のものと錯覚していることに外ならないのです。
もういい加減二元論の橋を渡って、有知性の絶対一元論すなわち三元論世界に入っていかなければなりません。
生死もない。
オスメスもない。
善悪もない。
強弱もない。
賢愚もない。
貧富もない。
幸不幸もない。
天国地獄もない。
若いも老いもない。
健康も病気もない。
世界が、知性を得たわたしたち人間の行き着く世界であります。