Chapter 740 気の病(やまい)の原因子

弱き生き物であった人類が地上を制覇したから、支配・被支配二層構造社会が生まれ、支配・被支配二層構造社会を維持するために差別・不条理・戦争の差別社会が生まれ、支配者たちの都合のために生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・若・老、健・病という本来補完関係にある二元論から、生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国・・・若・健を求めて、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄・・・老・病を避ける相対的一元論の「考え方」が生まれ、資本主義と社会主義(似非共産主義)が生まれ、自由主義と民主主義が生まれ、偶像崇拝の極みである現代拝金主義社会へと至ったのであります。
本来偶像崇拝である拝金主義が自由主義と民主主義の罠に嵌って、宗教色が消えてしまい、人類の歴史において最も洗練されたのが自由民主主義と錯覚しているのが、現代日本人であります。
古代における祭祀、中世における寺院、近代における宗教はすべて現代拝金主義へと収斂してきたのであります。
一見、文明の進化と見えますが、文明の退化とも言えます。
その証拠に、古代からあった四苦八苦の観念が未だに軽減しておらず、ますます助長されていることは、文明の退化面と言わざるを得ません。
日常生活つまり衣・食・住の利便性のみにおける文明の進化であって、しかもその利便性は人間社会だけであり、他の生き物にとっての自然の食物連鎖の法則を破壊するだけでは飽き足らず、延いては母なる大地・地球の生態系をも狂わせていることは、文明の進化と決して言えず、畢竟(つま)るところ、地震・津波・台風といった自然現象-人類にとっては自然災害-が発生し、原因不明の生態系-人類にとって難病-が発生して、人間社会を脅かしているのです。
弱き生き物が知性を得た結果、人類は無知性の絶対一元論のエデンの園から、「在り方と考え方」の二元論世界に放り込まれた。
しかも間違った「考え方」つまり感情の連鎖反応である連想を「考え方」だと勘違いした結果、男性社会が生まれ、感情よりも理性を重んじる社会になったのですが、この理性が実は連想に過ぎなかったのであります。
理性とは論理性を意味するのですが、一体何を以て論理とするかが大いに問題であります。
男性社会が生んだ論理性とは、本来単一である「想い」つまり感情を、複数の感情に繋ぎ合わせただけのもの、つまり連想に外ならなかったのです。
女性社会は単一の「想い」の感情型であります。
男性社会は複数の「想い」の連想型であります。
本来の理性とは、単一の「想い」つまり感情から端を発して、過去や未来に思いを馳せる連想志向ではなくて、『今、ここ』から『ここ』にジャンプすることによって、映像といった幻想的「考え方」ではなく、実現性を持った「考え方」のことを言うのであります。
従って、複数の「想い」の連想型の男性社会よりも、単一の「想い」の感情型の女性社会の方が理性的であると言えるのです。
人間社会だけのルールつまり憲法・法律・道徳・倫理といった「考え方」をつくった男性社会でしたが、結果は、差別・不条理・戦争・・・そして病(やまい)の丙状態が罷り通る社会に成り果ててしまいました。
病気つまり気の病(やまい)の丙状態とは、間違った「考え方」つまり複数の「想い」の連想が為せる業であることを、わたしたち現代人は肝に銘ずべきであります。
わたしたち現代人ひとり一人がそのことに目覚めれば、悉く拝金主義化された職業に成り下がった医者・宗教家・教師・弁護士・役人・政治家・・・たちも、再び聖職者に戻ることも可能ではないでしょうか。
しかし時代は確実に男性社会から女性社会に反転しつつあります。
“女性はより女性らしく、男性はより男性らしく”
二十一世紀の女性社会のキーワードであります。