Chapter 748 嘘の本質

嘘をつく唯一の生き物が人間であります。
嘘をつくということは、嘘の陰に真実があるということですから、まさに分裂症状を来しているわけです。
嘘をつく唯一の生き物である人間だけが、常に病(やまい)の状態にある所以です。
嘘をつくということは本来自己に対する行為であって、他人に対して嘘をつくということは、自己に対する嘘の再確認だけのことであります。
従って、他人に嘘をつくということは、無意識の行為に外なりません。
“嘘も方便”
“法螺も実現すれば立派な真実”
といった諺は、嘘という行為が自己に向けられたものである証であるのです。
自己を鼓舞する一種の方便が嘘の本質であることを理解しなければなりません。
自己を鼓舞する必要性が人間だけにあったのでしょうか。
他の生き物は母なる大地・地球つまり自然を全面信頼していますから、全体観で生きており、部分観では生きていません。
つまり分裂症状を来していない。
人間も新人類といった種類の間は、他の生き物と同じ全体観で生きていたのに、知性が発達したお陰で全体観から徐々に部分観へと移行していき、自己の内に分裂症状を来すようになり、己に嘘をつくようになっていったのです。
嘘をつくということは知性の表れに外ならないわけですから、より知性の発達した人間は多く嘘をつくことになるわけで、彼らが支配・被支配二層構造社会を構築していった張本人であり、被支配者つまり他人に嘘をつくことが始まったわけです。
他人に嘘をつくということは、支配の手段であったのです。
人間の歴史の黎明期においての、この釦の掛け間違いが、現代社会に生きるわたしたちに大きな陰を投げかけているのです。
わたしたち現代人は、嘘をつく行為は他人に向けてのものであると思い込んでいます。
支配・被支配二層構造社会と世襲・相続の差別社会を構築する上において、支配者側が被支配者側に採った手法だったのです。
インドのカースト制度。
インド大陸に侵入してきた白人種のルーツであるアーリア人が、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会を構築するためにつくった階級制度であります。
バラモン(祭祀者)・クシャトリア(王族・戦士)・ヴァイシャ(平民)・シュードラ(奴隷)という階級をアーリア人の中でつくった。
圧倒的に数の多い、ヴァイシャ(平民)・シュードラ(奴隷)階級の被支配者層を抑え込むために、支配者たちは先住民だったドラビダ人を、ヴァイシャ(平民)・シュードラ(奴隷)の更に下の階級として不可触民(アチュード)所謂賤民をつくったのです。
先住民というだけで、賤民にされたのです。
アメリカインディアンも同じ先住民であったお陰で、侵入してきた白人種によって賤民にされたのです。
南アメリカのインディオたちも先住民だったお陰で、侵入してきたスペイン・ポルトガル人によって賤民にされたのです。
日本においても弥生人つまり農耕型民族が大陸から侵入してきて、先住民だった縄文人つまり狩猟型民族を賤民にしたのです。
蝦夷・アイヌの人たちが先住民であったのです。
徳川家康が江戸幕府を開いた際に、士農工商という階級制度をつくり、更にその下に賤民を置いたのも、支配体制を強化するためのものであり、先住民の人たちが賤民にされたのです。
一般人つまり士農工商の農工商を抑え込むために、賤民を無理やりつくり、被支配側である農工商の被支配者たちに、更に下の階級への差別意識を植え込んだのであります。
結果、賤民に追いやられた人たちは何百年に亘る辛苦を味わい、同じ被支配者側の農工商の人たちに怨みを抱くようになっていくわけです。
支配される側同士で仲間争いをしていることは、支配者側にとっては誠に都合のいい状態であるわけです。
現代社会でも、この状態は依然として続いているのであります。
わたしたちは、嘘とは他人に対して為されるものだと思ってきました。
嘘とは自己に対して為されるものだと気づくことは、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会から脱却するための個人としての義務であります。
その延長に差別・不条理・戦争のない社会があるのです。
『枕の草子』の作者である清少納言は貴族の女御でしたが、『枕の草子』の中で彼女は、“人”の定義をしています。
彼女にとっての“人”とは貴族のことであって、一般庶民は“人”ではないのであります。
庶子である美智子后や雅子妃が、皇族や宮内庁の中で差別を受けているのも、皇族にとっては、美智子后や雅子妃が“人”ではないからであります。
最早(もう)こんな馬鹿げた社会は止めにしなければなりません。
己に嘘をつくことだけは止めましょう。