Chapter 757 次元の高い生き方

二十世紀が膨張の歴史の終焉の世紀であり、二十一世紀が収縮の歴史の幕開けの世紀だと言ってもいいでしょう。
膨張の歴史と収縮の歴史では、すべての価値観がどんでん返しする。
どんでん返しする価値観のキーワードが“差別・不条理・戦争の社会から平等・公正・共生の社会へ”であることは言うまでもありません。
差別の社会から平等の社会へ。
不条理な社会から公正な社会へ。
戦争の社会から共生の社会へ。
そしてその結果、
男性社会から女性社会へ。
組織の社会から個人の社会へ。
物の社会から心の社会へ。
拝金主義から拝徳主義へ。
相対的一元論の考え方から二元論を経て三元論の考え方へ。
移行していかざるを得なくなっていきます。
N次元世界の断面つまり『今、ここ』が(N-1)次元世界であるように、「在り方」と「考え方」には一次元のズレがあります。
わたしたち地球上で生きている者は、地球の四十八の法則に縛られていますが、それは、「在り方」レベルであって、「考え方」は太陽系惑星群の二十四の法則に縛られているのです。
十六通りの「二元論」すなわち生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄を補完要因として捉えるのが地球の四十八の法則なのに、生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国を選び、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄を避ける対立要因としているのが、わたしたち人間の「考え方」であります。
わたしたちの「考え方」は、地球の「考え方」に則していないのです。
生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄を補完要因として捉えるのが、地球の「考え方」であります。
わたしたちは四次元世界に生きているのに、三次元世界的「考え方」しか出来ないのです。
生まれた直後の赤ん坊の自分も、少年時代の自分も、青年時代の自分も、壮年時代の自分も、老年時代の自分も、そして死に直面した自分も、すべて自分であります。
つまり四次元世界の「在り方」で生きているわけです。
ところが、現在の自分しか自分だと思っていない自分がいる。
つまり三次元世界の「考え方」で生きているわけです。
『今、ここ』の『今』という時間軸に立つと時間の流れ(運動)を感じない。
『今、ここ』の『ここ』という空間軸に立つと空間の流れ(運動)を感じない。
ハイゼンベルグの不確定性原理が厳然と働いているのです。
電車の中にいると電車の流れ(運動)を感じないのに、電車の外にいると電車の流れ(運動)を感じるのも同じ原理であります。
運動の光と音(喧騒)の宇宙の根本原理であります。
『今、ここ』という「在り方」で生きているから、『今、ここ』という「考え方」になれないで、過去や未来に思いを馳せるわけです。
従って、『今、ここ』という「考え方」で生きるためには、もう一次元上の世界の「在り方」にならなければなりません。
差別の社会から平等の社会へ。
不条理な社会から公正な社会へ。
戦争の社会から共生の社会へ。
そしてその結果、
男性社会から女性社会へ。
組織の社会から個人の社会へ。
物の社会から心の社会へ。
拝金主義から拝徳主義へ。
相対的一元論の考え方から二元論を経て三元論の考え方へ。
移行していくことこそ、一次元上の「在り方」に外ならないのであります。