Chapter 777 “女性社会”のキーワード

女性化した男性と、男性化した女性が織り成す現代日本社会は、差別・不条理・戦争と混乱・束縛・停滞が常態化した社会、真暗闇の世界であるから、夜明けが素晴らしいわけです。
“女性社会”のイメージが湧かないのは、従来にはない、まったく新しいコンセプトだからであります。
男尊女卑が女尊男卑になるわけではない。
男尊女卑が女尊男卑になるのが“女性社会”ならば、どんな社会なのかイメージは湧くでしょう。
イメージが湧くものしか、受け入れることができない性癖を、わたしたち知性ある生き物・人間は持っています。
「在り方と考え方」の二元論世界で生きている証左であります。
「在り方と考え方」の分裂世界で生きている証左であります。
四次元世界では、生まれた時から死ぬまでの自分は常に同じ自分です。
三次元世界では、昨日の自分も明日の自分も今日の自分も、『今、ここ』の自分とは違うのです。
イメージとは昨日の自分の投影であり、明日の自分の投影であり、今日の自分の投影である連想に外なりません。
現実とは『今、ここ』であります。
わたしたちは、『今、ここ』を受け入れずに、昨日・今日・明日を受け入れて生きているのです。
“同じ川に二度と出会うことはない”のであります。
川を流れる水は昨日の水でも、明日の水でも、今日の水でもないのです。
川を流れる水は『今、ここ』の水なのです。
『今、ここ』は常に新しいコンセプトなのです。
これからやって来る女性社会は、コペルニクスの「地動説」やコロンブスの卵的発想をしない限り、浮かんできません。
“女性社会”に女性は興味津々でしょうが、イメージが湧かないという女性は、昨日の女性であり、明日の女性であり、今日の女性であり、『今、ここ』の女性ではないのです。
女性らしい女性とは、『今、ここ』を生きている女性のことであります。
昨日のことを悔やまず、明日のことを思い煩わず、今日のことをくよくよせず、『今、ここ』を生き切っている女性は本当に美しいのです。
昨日のことを悔やみ、明日のことを思い煩い、今日のことをくよくよするから、純潔意識を欠落させてしまうのです。
肉体上の純潔も大事ですが、それにも増して大事なのは、意識の純潔であります。
純潔意識とは五感が純潔意識を持つことに外なりません。
つまり「想い」の純潔意識こそが「意識」に外ならないわけです。
部分が全体を意識することと言っていいでしょう。
静止点である始点が運動をはじめて再び静止点である終点に円回帰すると言ってもいいでしょう。
よくよく考えてみれば至極当たり前のことなのですが、“心の王国”とは、何者も犯すことができない純潔意識に外ならないのです。
“女性社会”という新しいコンセプトのキーワードは“純潔”であります。