Chapter 782 新しい考え方

人類の歴史は、知性の青年期までである相対的一元論の世界観でした。
150億年前にビッグバンによって誕生した、運動の光と音(喧噪)のわたしたちの全体宇宙の基本法則は、誕生・生・死という円回帰運動であり、全体宇宙に存在するすべての物質は誕生・生・死という円回帰運動をします。
人類の歴史も円回帰運動をするわけで、1万数千年のこれまでの歴史は半円を完了した段階であり、すべてが運動する全体宇宙の基本法則が二元論であり、二元論を完結することが円回帰運動を完結することに外ならないのですから、これからの残りの半円を完結するには、本格的な二元論の世界観に入っていくことになるのです。
二元論の意義は、無知性の絶対一元論から二元論を経て有知性の絶対一元論に到達することにあり、畢竟(つまるところ)、一元論から二元論を経て三元論への円回帰運動における生という運動形態に外ならないわけで、知性の円回帰運動の一環と言ってもいいでしょう。
知性の誕生・生・死の(進化)過程と言ってもいいでしょう。
一元論が知性の誕生であり、二元論が知性の生であり、三元論が知性の死であるわけです。
無知性の絶対一元論の世界から相対的一元論を経て本格的二元論へ進化して有知性の絶対一元論つまり三元論によって、知性もまた死を迎えるわけです。
1万数千年の人類の文明が、知的文明と呼ばれている所以でありますが、これまでの知的文明は未だ青年期を経た相対的一元論の状態であって、壮年期及び老年期の知的文明がこれからやって来る新しい社会において顕現されるのです。
相対的一元論の世界では、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄といった二元要因を補完要因と捉えずに、生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国・・・神を好いものと捉え、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄・・・悪魔を好くないものと捉えてしまうのです。
相対的一元論つまり好いとこ取りの考え方は、知性の幼児段階であり、精々、青年期までの進化過程であるのです。
知性にも誕生があって、生があって、最終的には死があります。
相対的一元論は、知性の生における青年期までの状態であると言えます。
知性の生における壮年期・老年期では、本物の二元論に入っていきます。
生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・神・悪魔は飽くまで補完要因であり、切り離せない表裏一体のものであるという理解が要るのです。
生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国・・・神を好いものと捉え、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄・・・悪魔を好くないものと捉える考え方が通用しないことを理解することが、知性の青年期までの幼児状態から、壮年期・老年期までの成熟状態へ成長することに外ならないのであります。
オスである男性の社会は、知性の幼児状態の社会であります。
生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国・・・神を好いものと捉え、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄・・・悪魔を好くないものと捉える、男性社会の考え方であります。
メスである女性の社会は、知性の成熟状態の社会であります。
生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・神・悪魔は飽くまで補完要因であり、切り離せない表裏一体のものであると捉える、女性社会の考え方であります。
男性社会と女性社会の決定的な違いがここにあるのです。
拝金主義に塗れた現代人は、富を求め、貧を忌避しますが、これこそ典型的な相対的一元論の考え方であり、好いとこ取りの考え方ですが、土台実現不可能な考え方なのです。
富とは実体のない考え方であり、実体があるのは貧だけであり、貧の一程度が富であることに気がついていないのです。
貧の少ない状態が富であり、貧の多い状態を貧と言っておるだけで、富も所詮貧の一状態であるのですから、富を求めることは、貧を求めていることに外ならないことを理解しなければいけません。
土台実現不可能な好いとこ取りの考え方をしていることに気づかなければいけません。
生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国・・・神を好いものと捉え、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄・・・悪魔を好くないものと捉える、好いとこ取りの考え方を捨てることです。
生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・神・悪魔は飽くまで補完要因であり、切り離せない表裏一体のものであると捉える考え方になることです。
男性らしい男性と、女性らしい女性が織り成す、新しい女性社会の考え方の基本であります。