Chapter 800 悪魔(御利益)を制御する宗教

受動的・防御的・不随意的・凹型要素といった女性らしさが発揮される社会が二十一世紀の新しい社会になると、神の概念も一変します。
好いとこ取りの相対的一元論-二元要因を対立要因と捉え、人間社会にとって都合の好いものと都合の好くないものに区分け(差別)する考え方-が二十世紀までの男性社会の考え方であったのに対し、二元要因を補完要因として捉える二元論の本質の考え方を透過して、二元要因を超えた有知性の絶対一元論つまり三元論の考え方の社会になるのです。
好いとこ取りの相対的一元論の考え方では、神は都合の好いもので、悪魔は都合の好くないものであるわけです。
二元論の本質が顕現している運動の光と音(喧噪)のわたしたちの宇宙では、神は都合の好いもので、悪魔は都合の好くないものといった考え方は通用しないのです。
神とは悪魔の不在概念に過ぎない。
神とは悪魔の程度の一つに過ぎないだけで、神という実体はないわけです。
軽度の悪魔のことを神と言っているだけに過ぎないのです。
神とは悪魔(御利益)の甲状態のことであり、悪魔(御利益)の丙状態を悪魔だと呼んでいるだけであります。
好いとこ取りの相対的一元論の考え方が錯覚であると主張する所以でもあります。
錯覚の生き方から自覚の生き方への変貌が、究極的には三元論の考え方の社会を実現することになるのです。
生きているということは運動をしているということです。
運動をしているということは一つの状態にずっと滞っていることは不可能であることを示唆しているのに、わたしたちは神を希求します。
神とは悪魔の不在概念と申しました。
不在概念とは一つの状態に停滞している、つまり静止している状態を示すわけで、運動の光と音(喧噪)の宇宙では不可能な考え方なのです。
だから不在(概念)であるわけです。
不在(概念)とは、実在の一要素−全体観に対する部分観、在り方に対する考え方−に過ぎないのであります。
神とは悪魔の一形態-悪魔(御利益)の甲状態-に過ぎないのであります。
二十一世紀の宗教は、神を追い求める宗教ではなく、悪魔(御利益)を制御する宗教になるでしょう。
悪魔(御利益)の丙状態にならない為の宗教と言ってもいいでしょう。
その為には、わたしたちは生きている限り、悪魔(御利益)の甲・乙・丙状態の何れかに在ることを自覚することが必要になります。
悪魔のいない状態-不在(概念)-である神を追い求めることは、まさに鼬ごっこの錯覚であることを自覚しなければなりません。
神を追い求める生き方は、いますぐ止めましょう。
宗教の極致現象が、偶像崇拝の最たる拝金思想であるのです。
二十一世紀は、受動的・防御的・不随意的・凹型要素と能動的・攻撃的・恣意的・凸型要素がバランスのよくとれた社会にしなければなりません。

−「夢の中の眠り」Vol.(IV)終わり −