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Chapter 805 「悟り」、「覚醒」、「愛」 肉体が運動して変化している状態を「生」と言います。 運動して変化する過程が、意識の実体であり、「想い(心)」の実体だと考えていいでしょう。 従って、肉体が静止している「死」の状態では、意識も「想い(心)」も在り様がない。 生死を貫いて実在するのは、肉体つまり物質(エネルギー)しかないわけで、意識や「想い(心)」は「生」あっての物種であることを、認識しておく必要があります。 勇気を奮うとは、運動して変化することを受容することに外なりません。 清水の舞台から飛び下りるということは、運動して変化することを受容することであり、生きることに外なりません。 生きるということは、危険な中にいるということを、自覚していないのは人間だけです。 自然の中で野生でいるということは、危険なジャングルの中で生きていることであるのに、ジャングルの中に檻をつくって、その中に自らを閉じこめているのが、わたしたち人間なのです。 ジャングルがエデンの園であり、檻の中がエデンの東にあるノドという町であるのです。 知性とはジャングルの中に檻をつくる発想源であったわけで、人類が弱き生き物であるが故に知性を得た証明でもあります。 知性で地上を制覇したつもりでいる人類は、「勇気」という言葉を、況してや、勇気を奮うことなど、忘却の彼方に押しやってしまったのです。 わたしたちは余りにも知性に頼り過ぎた結果、運動の光と音(喧噪)の宇宙の中で誕生した生物の最も基本要件である勇気を捨ててしまったのです。 太陽系惑星群の一つである地球上に生命体として誕生したわたしたち人類は、太陽から三つの恵みを与えられています。 熱エネルギー・生命エネルギー・進化エネルギーの三つであります。 これらのエネルギーは運動エネルギーの派生形態です。 水が0℃以下になると氷になり、100℃以上になると水蒸気になるのは、熱エネルギーに因るものですが、相転移現象と言って、生命エネルギーや進化エネルギーによっても相転移現象が起こります。 生命エネルギーに因る相転移現象が誕生と死であります。 熱エネルギーに因る相転移現象が生であります。 進化エネルギーに因る相転移現象が「悟り」、「覚醒」、「愛」であります。 寿命は生命エネルギーの枯渇つまり太陽から見放されることに外なりません。 病気は運動の一形態である休息(休養)の欠乏に因るものであり、休養(休息)の欠乏は狭義の運動エネルギーの欠乏に因るものであり、狭義の運動エネルギーの欠乏は食べものの欠乏に因るメカニズムになっているのです。 相転移現象が起こる際に必要なのが清水の舞台から飛び下りる勇気でありますが、勇気を奮うにもいろいろな段階があるわけです。 勇気を奮う最終段階が進化エネルギーに因るもので、生命エネルギーの発現の最終段階と言い換えてもいいでしょう。 生命エネルギーの発現の最終段階に死があって、死によって、「悟り」、「覚醒」、「愛」は実現するわけです。 畢竟、生あるものは必ず死に、死に際して必ず「悟り」、「覚醒」、「愛」を獲得することができるのであります。 逆説的に言えば、死に際して否応なしに悟らなければならないのです。 無神論者であろうと、唯物論者であろうと、現実主義者であろうと、哲学や宗教を忌避する者であろうと、死に際して否応なしに悟らされるのであります。 清水の舞台から飛び下りる勇気とは、死を受け入れる勇気であり、死を受け入れる勇気が「悟り」、「覚醒」、「愛」に外なりません。 |