Chapter 806 “死”は身近な問題

生死は切り離すことができないものであります。
二元論の基本です。
ところが、わたしたちは生と死を分けています。
生死二元論の円回帰運動における最長形態である一生で以てしか考えていないからです。
生死二元は一生という最長形態から、息をするという最短形態までの間に無数の形態があることを知らなければなりません。
細胞がおよそ一ヶ月で入れ替わるのも、生死の一形態であります。
息を吸うのは生の一形態であり、息を吐くのは死の一形態であり、畢竟、生死の繰り返しこそが円回帰運動であるわけです。
誕生・生・死の円回帰運動は、ビッグバン以降150億年間膨張し続けてきた、運動の光と音(喧噪)のわたしたちの宇宙(全体宇宙)の基本法則です。
“生まれて、生きて、死ぬ”
一生という期間だけでなく、一瞬という期間でも、わたしたちは、“生まれて、生きて、死ぬ”を繰り返しているのです。
ところが、わたしたち人間だけが、“生まれて、生きて、死ぬ”の“生まれて、・・・、死ぬ”を外して、“・・・、生きて、・・・”だけで生きているのです。
不完全燃焼になるのは当然であります。
生というのは死があってこその生であるのです。
死を身近な問題と捉えて生きていないのです。
野生とは、死を身近な問題と捉えていることに外なりません。
大地震を予知できない人間だけが天災と騒いでいるのです。
死を身近な問題と捉えている野生の生き物は、大地震も円回帰運動の一環であることを熟知しているのです。
わたしたちは、死の問題を取り上げることをタブー視しています。
日本では、“四”という数字は“死”と語呂合わせして不吉な数字と言われてきました。
キリスト教圏である欧米では、イエス・キリストが十字架に架けられたのが金曜日の十三日だということで、“十三”は不吉な数字と言われてきました。
人間だけが“死”をタブー視しているのです。
人間だけが分裂状態で生きている所以の一つであります。
生と死は切り離せない要因なのに、生だけを希求して、死を忌避して生きてからであります。
わたしたちは、“死”についてもっと知らなければなりません。
わたしたちは、“死”についてもっと勉強しなければなりません。
そうすれば、「悟り」、「覚醒」、「愛」はもっと身近なものになるでしょう。
「悟り」、「覚醒」、「愛」が身近なものにならない限り、差別・不条理・戦争が横行する人間社会から脱却することはできません。
“死”をタブー視するから、宗教が氾濫し、医者が氾濫するのです。
“死”を身近な問題として捉える生き方をすることです。