Chapter 808 連想ゲームの達人

自我(エゴ)意識を持っている限り、わたしたちは四苦八苦の人生から逃れることはできません。
自我(エゴ)意識自体が、その原因になっているからであります。
『自分が・・・』という自我(エゴ)意識は、真我の部分観に過ぎません。
地球あってのわたしたちであるように、真我あっての自我であることを、わたしたちは認識していない。
太陽あっての地球であるように、わたしたちは地球なしでは存在すら許されていません。
真我あっての、『自分が・・・』の自我(エゴ)であることを知るべきです。
自分を滅することが真我の状態であり、自分を滅することこそ、自分を生かすことに外ならないのです。
『自分が・・・』と思っている限り、自分の思うように生きることはできません。
自己の中心を全体に置かない限り、自己を生かすことはできない。
自己の中心を部分である『自分が・・・』に置いている限り、自己は生きる屍であります。
“捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ”という格言がある。
自分を捨ててこそ、生かしてくれる川瀬があると言っているのです。
川の流れに逆らって生きていると、川底に沈んでいくのが落ちであります。
川の流れに従って生きていると、川面に浮かび、川の流れに沿って行くことができ、やがては自己の存在理由つまり使命を与えてくれている大海に辿り着くことができるのです。
過去や未来に思いを馳せる自分を捨てることです。
過去や未来に思いを馳せる自分を捨てると、自ずから、『今、ここ』にいることができるのです。
しかし、『今、ここ』にいようとする自分がいる限り、『今、ここ』にいることはできません。
『自分が・・・』とは、過去や未来に思いを馳せている自分のことであります。
『今、ここ』を生きるとは、“起こるがままに起こらせる”ことであります。
その瞬間(とき)、時間の支配・束縛から解放されることができるのです。
過去や未来に思いを馳せるとは、時間に支配・束縛されることに外なりません。
『今、ここ』にいるとは、時間の支配・束縛から解放されることに外なりません。
時間に支配・束縛されている限り、自分が考えたことが実現することは一切あり得ない。
時間の支配・束縛から解放されると、自分が考えたことはすべて実現する。
『今、ここ』から過去や未来にジャンプすることを連想と言うのです。
『今、ここ』から『ここ』にジャンプすることを「悟り」、「覚醒」、「愛」と言うのです。
わたしたちが普段考えていることは連想であります。
「本当に考える」ということは、「悟り」、「覚醒」、「愛」への進化過程であります。
現代人がロボット化しているのは、まさしく、連想ゲームの鎖の呪縛に因るものであり、ゲームソフトに興じている現代の若者は、連想ゲームの達人であり、まさにロボット人間であります。