Chapter 809 睡眠は必要悪

意識が眠った状態で生きているから、わたしたちは眠らなければならないのです。
意識が醒めた状態で生きているなら、わたしたちは眠る必要はありません。
睡眠は、熟睡というNon-REM睡眠と、夢を観ているREM睡眠との二つの形態がありますが、肉体の疲労回復のためにはNon-REM睡眠、精神の疲労回復のためにはREM睡眠が必要だと言われています。
子供たちの睡眠が殆どNon-REM睡眠の熟睡であるのは、肉体の疲労だけで、精神の疲労はないからでしょう。
眠っている彼らの腹部を観察すると、複式呼吸をしていることがわかります。
複式呼吸をしているということは、肉体の疲労はあっても、精神の疲労はなく、夢を観ていないことの証明であります。
REM(Rapid Eye Movementの略語)睡眠の夢を観ている状態では、瞼をピクピク動かし、胸式呼吸をしていることがわかります。
精神が揺れ動いている証明であります。
肉体と精神の疲労があるから、睡眠が必要である根拠がここにあるのです。
肉体も精神も疲労がないなら、睡眠は必要ないとも言えるわけです。
肉体の疲労は生きている限りある。
生きているということは、肉体が運動をしているからです。
精神の疲労も生きている限りある。
生きているということは、肉体が運動しているからであり、肉体が運動することによって意識が生じるからです。
肉体が運動を静止する畢竟死ねば、意識も静止する畢竟消滅する。
睡眠は絶対必要であると言われている所以であります。
ところが肉体の中には、疲れを知らない肉体と、疲れを知っている肉体とがある。
疲れを知らない肉体とは、五臓六腑を中心にした内臓器官であり、一年365日、一日24時間、死ぬまで動き続けています。
疲れを知っている肉体とは、外部と接触している五感であり、眠っている間は運動を静止させています。
この事実は、何を意味しているのか。
肉体の疲労とは、五感の疲労に外ならないことを意味しているのです。
精神の疲労とは、「想い」の疲労に外ならないことを意味しているのです。
五感とは肉体の一部分であります。
「想い」とは意識の一部分であります。
つまり、疲労感とは、部分観に外ならないのです。
部分観とは、意識が眠った状態のことであると申しました。
全体観とは、意識が醒めた状態のことであると申しました。
意識が醒めた状態とは、疲れを知らない肉体と精神であるわけです。
意識が眠った状態とは、疲れを知っている肉体(五感)と精神(「想い」)であるわけです。
自我(エゴ)を滅した真我の状態は全体観であります。
『自分が・・・』の自我(エゴ)の状態は部分観であります。
『今、ここ』を生き切っていれば、睡眠は一切必要ない所以がここにあります。