Chapter 813 自然(野生)と科学

本当に生きているということは、死を生きていることに外なりません。
死を意識しないで生きているとは言えないのです。
二元論の甲・乙・丙状態をChapter792からChapter800までで説明しましたように、生・死二元要因は、死(死季)の甲・乙・丙状態と言い換えてもいいわけで、生は死の一形態の甲若しくは乙状態に過ぎないのであります。
わたしたちは、健康とは病気の無い状態と思っていますが、生きている限り病気が全く無い状態というのはあり得ないのです。
健康という実体はなく、病気の程度が軽い状態、つまり病(やまい)の甲状態を健康と言っておるだけなのです。
普段のわたしたちは、ちょっと無理をすると病気になる状態、つまり病(やまい)の乙状態にあるわけで、病気つまり病(やまい)の丙状態と背中合わせで生きているのです。
従って、生とは死(死季)の甲・乙・丙状態の甲・乙状態であるわけであり、意識が眠った状態で生きているわたしたちは、死(死季)の乙状態にあるのに対して、意識が醒めた状態で生きると、死(死季)の甲状態にある、畢竟、本当に生きていることになるわけです。
死(死季)の乙状態にいるわたしたち凡夫は、本当に生きているとは言えないのであります。
「悟り」、「覚醒」、「愛」を獲得した人こそ、死(死季)の甲状態、つまり、本当に生きていると言えるのです。
過去や未来に思いを馳せて生きているのは、死(死季)の乙状態にいるわけで、本当に生きているとはおよそ言えません。
『今、ここ』を生きてこそ、死(死季)の甲状態にいるわけで、本当に生きていると言えるわけです。
病気と常に背中合わせで生きているように、死と常に背中合わせで生きているのが、生を受けて誕生した瞬間(とき)から、死に向かって行進している、わたしたち生ある者の宿命なのです。
ところが、わたしたちは死を避けて生きようとしています。
土台無理な話であります。
実に愚かな生き方をしています。
他の野生の生き物は、常に死と背中合わせで生きています。
それが野生の本質であります。
彼らが、大地震が起こるのを事前に察知して難を逃れることができるのは、野生のお陰です。
わたしたちが、大地震が起こってから慌てふためいているのは、野生を失ったお陰です。
死を意識する野生に頼って生きていないからです。
死を避けようとする科学に頼って生きているからです。
野生に頼って生きている生き物は、大地震の難から逃れることが出来、科学に頼って生きているわたしたちは、大地震に呑み込まれたのであります。
本当に生きるということはどういうことかを、わたしたちは見直してみる必要があるのです。