Chapter 818 折り返し点を迎えた人類

死の中で生きている。
実体があるのは死だけであり、生は死の一形態に過ぎない。
『今、ここ』とは、自我(エゴ)である「私」の死を意味しているのです。
『今、ここ』とは、自我(エゴ)のない「わたし」の復活を意味しているのです。
わたしたちは、自我(エゴ)である「私」を自分だと思ってきました。
“自分が・・・”と思うのが自我(エゴ)なのですから仕方ありません。
他の生き物には自我(エゴ)はありません。
大脳皮質が単層の生き物には自我(エゴ)はないのです。
肉体の一部であり、自他の区分けをする器官である五感から入力されてきた外部(他者)情報は、先ず大脳皮質に送られます。
大脳皮質が一層の場合は、五感から送られてきた情報は無条件で身体の各器官に伝達され、各器官が独自に記憶する。
まさにコンピュータの外部記憶装置、所謂、反射神経であります。
大脳皮質が二層つまり古皮質と新皮質に分かれている霊長類は、無条件に情報が各器官に伝達されるのではなく、一旦取捨選択をして合格したものだけが送られます。
取捨選択する物差しが大脳新皮質に蓄積されている記憶に外ならないのです。
まさにコンピュータの内部記憶装置、所謂、知識・知性であります。
従って、自我(エゴ)とは内部記憶装置である知識・知性に外ならないのです。
知識・知性が弱き生き物である霊長類・ヒト科・ホモ属・サピエンス種・人類を地上の覇者にした一方、過去を悔やみ、未来を取り越し苦労する人間にした張本人でもあるのです。
エデンの園にあった知恵の果実を食した結果、エデンの自然の園を追放されたのであります。
自然という絶対一元論の世界から功罪両面がある二元論の世界に追放されたのであります。
運動の光と音(喧噪)の宇宙の基本法則である誕生・生・死という円回帰運動の過程だとも言えます。
絶対一元論が円回帰運動の始点であり、二元論が円周であり、三元論が終点であるわけです。
これまでの人類の歴史を振り返ってみますと、エデンの園から追放され、二元論の世界つまり円周の過程に入った人類ですが、未だ半分しか経過していなかったために、二元論の本質を完全に理解できず、中途半端な二元論つまり好いとこ取りの相対的一元論に陥っていたのです。
男性社会の差別・不条理・戦争が横行する、好いとこ取りの相対的一元論の世界が展開されてきた歴史であったのです。
結果、人類の異常発生という事態を招いているわけですが、この異常事態は、円周の半分を経過した、つまり、折り返し点を通過して、これから反転現象が起こることへのシグナルであるのです。
好いとこ取りの相対的一元論の世界はもう終焉を迎えたわけです。
生は好いが、死は好くない。
オスは好いが、メスは好くない。
善は好いが、悪は好くない。
強は好いが、弱は好くない。
賢は好いが、愚は好くない。
富は好いが、貧は好くない。
幸福は好いが、不幸は好くない。
天国は好いが、地獄は好くない。
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健康は好いが、病気は好くない。
神は好いが、悪魔は好くない。
こういった好いとこ取りの相対的一元論である偽物の世界観は終焉を迎え、真の二元論である本物の世界観がこれからやって来るのです。
自我(エゴ)の正体である知識・知性の罪的面である相対的一元論を修了して、功的面である真の二元論の世界が次の半円の世界なのです。
中途半端な知識・知性が好いとこ取りの相対的一元論を生んだわけですが、その先には本格的な知識・知性による真の二元論が待ち受けているのです。
自我(エゴ)である「私」の死の後には、自我(エゴ)のない真我の「わたし」が待ち受けているのです。
本当の自分の発見であります。
そのキーワードが『今、ここ』です。