Chapter 822 神に惑わされない生き方

わたしたちの人生は動画フィルムのようなもので実在しません。
実在するのは一枚一枚の静止画フィルムだけです。
動画フィルムとは静止画フィルムを積み重ねたもので、一枚一枚の静止画フィルムをパラパラと捲った結果映る映像です。
一枚一枚の静止画フィルムはスナップ写真と同じで、その時々の『今、ここ』を撮影したものです。
実在するのは、その時々の『今、ここ』だけであり、その時々の『今、ここ』のことを事実と言うのです。
拙著「神はすぐ傍」PART(II)Chapter40「事実と真実と真理」で述べましたが、事実とは三次元世界のことであり、真実とは四次元世界のことであり、真理とは五次元世界のことであります。
五次元世界を個々の実在、つまり、それぞれの本当の「わたし」で切断した断面が個々の四次元世界です。
それぞれの本当の「わたし」とは、『今、ここ』から『ここ』にジャンプした結果、再発見する本当の自分です。
真理を知るには本当の自分を再発見しなければなりません。
真理を知った結果再発見した本当の自分、つまり、真実の自分が四次元世界です。
真実の自分の四次元世界を、『今、ここ』の『今』で切断した断面が事実の自分です。
事実の自分が三次元世界。
真実の自分が四次元世界。
真理の自分が五次元世界。
事実の自分こそが静止画フィルムである実在する本当の「わたし」であります。
真実の自分こそが静止画フィルムを積み重ねてパラパラ捲った結果映し出される動画面であります。
真理の自分こそが地球・太陽系惑星群・太陽・銀河星雲・全体宇宙・絶対宇宙を貫く法則であります。
従って、実在の基本は『今、ここ』の「わたし」である三次元世界です。
平たく言えば、四次元世界だの、五次元世界だのといったものなどないわけであります。
在るのは『今、ここ』という三次元世界だけであり、三次元世界においては、『今、ここ』の『今』もないわけで、『ここ』だけです。
アインシュタインが四次元要因に「時間」を加えたのも、三次元世界を客観視するための方便であって、「時間」というものが実在するわけではないのです。
実在するのは『今』の『ここ』という三次元空間だけであり、昨日の『ここ』や、明日の『ここ』などなくて、『今』の『ここ』しかないから、『今、ここ』と言っておるだけです。
時間とは昨日・今日・明日の総称であって、実在するわけではないのです。
実在するのは今日の中の『今』の『ここ』の事実だけであります。
時間とは昨日・今日・明日であるのに対し、時刻とは今日の『今』であり、厳密には一瞬一刻のことです。
一瞬一刻の『ここ』のことを『今、ここ』と言っているわけで、在るのは『ここ』という三次元空間世界の事実だけであり、それが静止画フィルムであります。
ところが、わたしたちは時間-厳密に言えば時間という概念-に支配されて生きています。
時間、つまり、昨日・今日・明日という四次元世界の四次元要因に惑わされているのです。
神-厳密に言えば人類が創った神の概念-に惑わされてきた人類ゆえに、拙著「神はすぐ傍」で「神が時間」と申しました所以であります。
過去の昨日や、未来の明日のみならず、現在の今日にも思いを馳せて生きている、わたしたち人類だけが、神に惑わされてきたのです。
神に惑わされずに生きていくには、時間の概念の介入を断じて許さない『今、ここ』の『ここ』を生きなければならないのです。