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Chapter 824 人生とは観点の違い 夢は見るだけのものではなくて、聞き、匂い、味わい、触れるものでもあります。 夢を見る。 夢を聞く。 夢を匂う。 夢を味わう。 夢を触れる。 「夢の中の眠り」ではそれらを総称して、『夢を観る』と言ってきたわけです。 わたしたち人間は、見る生き物ですから、夢を見ることが圧倒的に多いのですが、匂う生き物である犬は夢を匂っているし、生まれつき目の不自由な人は、夢を見ることは不可能であり、その代わりに夢を聞いているのです。 夢を観るということは、夢を見るだけでなく、夢を聞き、夢を匂い、夢を味わい、夢を触れてもいるのです。 映画を見るとは言いません。 映画を観賞(鑑賞)するとは、映画を観ることであり、映画を見る、聞く、匂う、味わう、触れることでもあるのですが、人工的な映画は、夢のように、「見る」、「聞く」、「匂う」、「味わう」、「触れる」ところまでいかず、「見る」、「聞く」だけでありますが、夢は正に映画であります。 以前紹介致しましたが、匂いのある映画に挑戦した人がいて、劇場の観客席の肘掛けの所に匂いの出る装置をつけ、映画の場面に応じた匂いがその装置から出る仕掛けになっている。 レストランで食事をしている場面だと、食事の匂いが観賞者にも伝わるわけで、正に、映画を見る、聞く、匂っているわけで、夢に一歩近づいている。 わたしたちは映画を観ている間、映画に感情移入しています。つまり、映画を観ている間は、映画を現実だと思って観ています。 映画が終わって、白いスクリーンに戻ると共に、わたしたちは映画から醒めます。 夢もまったく同じメカニズムです。 夢を観ている間は、夢に感情移入、つまり、現実だと思っていて、眠りから醒めると、夢だったと気づくのです。 白いスクリーンに映像が映っている間は現実だと思いこみ、映像が消え、白いスクリーンに戻ると現実ではなくて映画だったと気づく。 白いスクリーンに夢が映っている間は現実だと思いこみ、映像が消え、白いスクリーンに戻る、つまり、眠りから醒めると、現実ではなくて夢だったと気づく。 眠りから醒めない限り、夢だと気づかず、現実だと思い込んでいるのが、わたしたちの人生であるのです。 意識が眠っている間は、夢を現実だと思い込んで生きているのです。 以前にお話しましたように、睡眠にはREM睡眠(夢を観ている間の睡眠)とNon-REM睡眠(熟睡)とがあり、REM睡眠では五感はすべて醒めているし、Non-REM睡眠でも、視覚動物である、わたしたち人間は精々、視覚だけが眠っているだけでありますから、厳密に言えば、Non-REM睡眠だけが睡眠であり、夢を観ている間のREM睡眠は睡眠状態ではなく、肉体レベルでは覚醒状態であるのです。 そうしますと、夢から醒めるのは、眠りから醒めることによってですから、REM睡眠から醒めるということは起こり得ないことがわかってきます。 眠りから醒めるのはNon-REM睡眠である熟睡からであるわけですが、Non-REM睡眠である熟睡では、夢は観ない。 わたしたちは、寝ても醒めても(起きても)、夢を観ている状態であると言っても過言ではありません。 意識が醒めていない限り、わたしたちの人生は、夢を観ている状態であるわけで、映画を観て感情移入している結果、喜び、怒り、哀しみ、楽しんでいるように、夢だからこそ、喜怒哀楽の四苦八苦の人生を送り続けているのであります。 眠った意識から醒めることこそ、四苦八苦の人生から解放されることであり、悪夢の人生から醒めることに外なりません。 眠った意識で夢を観ている人の居る場所が過去や未来であり、眠った意識から醒めた人の居る場所が『今、ここ』であります。 「色即是空」とは正に、このことを言っているのであります。 場面・情景即ち人生が同じでも、 意識が眠っていたら、それは「色」。 意識が醒めていたら、それが「空」。 「色」である人生が、四苦八苦の人生。 「空」である人生が、「悟り」、「覚醒」、「愛」の人生。 観た目は何も変わらないのであり、変わるのは観る者の観点だけであり、観点とは『今、ここ』の内容であります。 |