Chapter 830 相対性から絶対性へ

無知性の絶対一元論の世界で生きている他の生き物にとっては、殺す行為、盗む行為、レイプする行為は、善でも悪でもなく、自然の食物連鎖の法則に則しているだけのことです。
知性を得た人類は、有知性の絶対一元論(三元論)の世界で生きなければならないのに、中途半端な二元論の世界に嵌り込んでしまった。
二元論の本質は相対的である、つまり、二元論とは相対的二元論であるのに対して、知性を得たわたしたち人類は、相対的一元論つまり二元論の好いとこ取りをするという中途半端な二元論の生き方をする羽目に陥った結果、他の生き物には無い、四苦八苦の人生を送らざるを得なくなったのです。
“汝殺すなかれ”
“汝盗むなかれ”
“汝犯すなかれ”
という律法(法律)で自らを戒めておきながら、自ら破っておるわけです。
他の生き物の世界には、このような律法(法律)など在りませんが、彼らは自然の中で掟を遵守しています。
“律法(法律)は破られるためにある”が、“掟は自然に守られている”わけです。
掟は絶対的なものであるのに対し、律法(法律)は相対的であるからです。
相対的とは相手があるからで、相手と自分を相対比較して、自分の都合の好い方を選ぶことに外ならない。
中途半端な二元論こそが、好いとこ取りの相対的一元論の所以であります。
二元論とは、運動の光と音(喧噪)の世界の基本法則である誕生・生・死の円回帰運動の生における法則であります。
誕生における法則が無知生の絶対一元論であり、死における法則が有知性の絶対一元論(三元論)であります。
無知生の絶対一元論から有知性の絶対一元論(三元論)に到達する過程として、二元論が存在するのですから、知性を得た人類が二元論に陥るのは仕方ないのですが、中途半端な二元論である、好いとこ取りの相対的一元論に嵌り込んでいるのが問題なのであります。
他の生き物はすべて絶対性の中で生きているのに対して、人類だけが相対性の中で生きている。
アインシュタインは人類に警鐘を与えるために相対性理論を発表したのか、人類を路頭に迷わせるために相対性理論を発表したのか。
何れにせよ、人類は迷える子羊になっているようです。
二元論は進化の過程であることは間違いないのですが、宇宙の起源が絶対宇宙にあるように、わたしたちの在り方も絶対性が基本であることを決して忘れてはいけません。
静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙から、ビッグバンによって、運動の光と音(喧噪)の全体宇宙が誕生し、その全体宇宙の中で存在しているわたしたちですから、相対性の運動が基本だとつい思い勝ちですが、飽くまで絶対の静止が基本なのであります。
「二元論」における、相対的二元論。
「全体と部分の相対性の法則」における全体観。
「在り方と考え方」における在り方。
が絶対性であります。
「二元論」における相対的一元論。
「全体と部分の相対性の法則」における部分観。
「在り方と考え方」における考え方。
が相対性であります。
組織から個人の時代へと変身する二十一世紀は、相対性価値観の時代から絶対性価値観の時代へ移行する世紀であります。