Chapter 833 法律の一種・相対性理論

生きているということは、動いている(運動している)ということに外ならない。
死ぬということは、止まる(静止している)ということに外ならない。
運動は静止があるから運動するのであって、運動は運動・静止の繰り返しに外ならない。
静止は静止しかない。
誕生・生・死という円回帰運動における、誕生は静止一如から静止・運動の繰り返し動作に移ることであり、生きるということは、運動・静止の繰り返し動作であり、死ぬということは運動・静止の繰り返し動作から静止一如に帰ることであります。
静止一如は静止一点と言い換えてもいいわけで、始点が誕生であり、終点が死であり、円回帰運動では始点が終点であります。
生である円周は、円運動つまり山あり谷ありの三角関数曲線運動であり、山と谷が生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・健康・病気、神・悪魔、運動・静止であり、山と谷の狭間(ニュートラル・ポイント)が死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄・・・病気・悪魔・静止に外なりません。
静止一如からはじまり、静止・運動の繰り返し動作、そして静止一如に帰るのが、円回帰運動であります。
運動にとっては、静止が絶対条件であり、運動は相対条件であります。
言い換えれば、
生にとっては、死(誕生)が絶対条件であり、生は相対条件であります。
生きているということは、死の中で生きていることに外ならない所以であります。
運動の光と音(喧噪)の全体宇宙では、無数の円回帰運動が為されていて、わたしたち人間レベルでの最長形態の円回帰運動が一生であり、最短形態での円回帰運動が一息であり、その間にやはり無数の円回帰運動が為されている。
星にも最長形態の一生から最短形態の一息の間で無数の円回帰運動が為されている。
死という絶対条件の中に、生という相対条件がある。
生きている限り、死は必ずやってくる所以であります。
死を意識しないで生きるということは出来ないのに、わたしたちは死を意識しないで生きている。
「在り方と考え方」の分裂症状です。
「在り方」でしか生きることができないのに、「考え方」で生きていると思っている。
人間以外の生き物はすべて「絶対一元論」、「全体観」、「在り方」で生きているのに、わたしたち人間だけが、「二元論」、「全体と部分の相対性の法則」、「在り方と考え方」で生きているのです。
相対性理論は、わたしたち人間だけに通用する法則、つまり、戒め・法律・憲法のようなものであります。
絶対性理論は、すべてに通用する法則、つまり、自然の掟であります。