Chapter 837 『今、ここ』が永遠への登竜門

わたしたちが生きている世界は水平的な世界です。
水平的な世界とは量的な世界のことを言います。
水平的な世界を生きていると、すべての判断を量的にしてしまう。
時間のことを量的に捉えている、つまり、時間を長い・短いで判断しているわたしたちは、水平的な世界を生きている証です。
富を判断するのも多少・大小という量的尺度でしているわたしたちは、水平的な世界を生きている証です。
幸不幸の判断も多幸・薄幸といった量的尺度でしているわたしたちは、水平的な世界を生きている証です。
人生における悩みや四苦八苦の原因は、過去を悔やみ、未来を取り越し苦労するからであり、過去や未来に思いを馳せるのは、時間を長い・短いという量的尺度で判断しているからです。
過去とは1息前のことであり、1秒前のことであり、1分前のことであり、1時間前のことであり、1日前のことであり、1ヶ月前のことであり、1年前のことであり、1生前のことであります。
未来とは1息後のことであり、1秒後のことであり、1分後のことであり、1時間後のことであり、1日後のことであり、1ヶ月後のことであり、1年後のことであり、1生後のことであります。
わたしたちの人生は、誕生・生・死の円回帰運動の繰り返し動作であり、最短形態の一息から最長形態の一生の間に無数の誕生・生・死の繰り返し動作があります。
過去・未来という時間の物差しの目盛りは1秒・1分・1時間・1日・1ヶ月・1年ではなく、1秒前・1秒後、1分前・1分後、1時間前・1時間後、1日前・1日後、1ヶ月前・1ヶ月後、1年前・1年後のことであり、前と後が限りなく近づいた状態つまり極限値が現在でありますから、過去・現在・未来という時間は、前後の長短の尺度、つまり長い・短いという量的尺度の水平的時間のことであります。
前後がない一息・一秒・一分・一時間・一日・一ヶ月・一年・一生こそが、『今、ここ』であり、水平的時間と垂直的時間の交差点であります。
垂直的な世界とは質的尺度の世界であります。
垂直的時間は、時間の長短の目盛りではなく、時間の高低(深い・浅い)が目盛りです。
垂直的富は、富の多少・大小の目盛りではなく、富の高低(深い・浅い)が目盛りです。
垂直的幸福は、幸福の多少・大小の目盛りではなく、幸福の高低(深い・浅い)が目盛りです。
水平的世界は線運動・平面運動・立体運動という量的尺度で計られるのに対し、垂直的世界は円回帰運動という質的(質*量=質量)尺度で計られるから、水平的時間・水平的富・水平的幸福は、果てのないものでもなく、無限のものでもなく、永遠のものでもなく、垂直的時間・垂直的富・垂直的幸福が、果てのないもの、無限のもの、永遠のものであるのです。
平たく言えば、量的尺度の水平的世界での価値観は、死ねば藻屑と成り果てる相対的なものばかりで、質的尺度の垂直的世界での価値観は、肉体は死んでも永遠に生き続ける絶対的なものなのです。
水平的世界観から垂直的世界観に移行する登竜門が『今、ここ』であります。
儚い夢の人生観から、永遠の人生観への登竜門が『今、ここ』であります。
過去を悔やみ、未来を取り越し苦労する人生から、「悟り」、「覚醒」、「愛」の人生への登竜門が『今、ここ』であります。