Chapter 839 摩り替わった神

わたしたち人間は先ず時間の概念を持つことで「在り方」で生きることから、「考え方」で生きる間違いを犯し、更に、時間の間違った概念で以って、間違った「考え方」で生きるという二重の間違いを犯してきた。
無知性の絶対一元論の世界から相対的二元論の世界へ移行することが、「在り方」で生きることから、「考え方」で生きる知性を得た者の進むべき道でありますが、最終的には、絶対一元論に回帰する、つまり、有知性の絶対一元論、畢竟、三元論に行き着くことが、知性を得た者の最終ゴールであるのに、相対的二元論の本質を理解できず、好いとこ取りの相対的一元論に嵌り込んでいるのです。
時間の概念を持つことが最初の間違いであると申しましたが、縦*横*高さ=嵩という(量)が三次元要因であるのに対し、四次元要因である(質)が加わった(質*量)の世界が四次元世界であり、四次元要因の(質)の一つとして時間の概念があるのに、時間こそが四次元要因であり、時空間こそが四次元世界だと主張したことが、間違った時間の概念に外なりません。
光を絶対者とし、その下に時間という支配者を人間の上に置いたのが最初の間違いであったわけです。
光が神であり、時間が律法(法律)となることで、人間すべてが被支配者側に先ずなってしまった。
次に、光という神の下に時間という律法(法律)がつくられ、人間社会の中で律法(法律)を行使する司法者が律法(法律)の代弁者となり、延いては人間の支配者側となることで、遂に、支配・被支配二層構造の社会をつくってしまったのです。
弱き生き物であった人類が、強き生き物から我が身を守るために二本足動物になり、知性を得ることによって光という最大の武器を得た結果、地上の覇者になることができた。
光を絶対者として崇める信仰が発生したわけです。
ここまではまだよかった。
間違いとは言えない。
進化過程と言ってもいいでしょう。
問題はその後です。
地上の覇者となった人類が、人類の仲間内で争いが起こった。つまり外敵を突破した人類は内敵をつくってしまった。
内紛つまり骨肉の争いであります。
骨肉の争いは内紛つまり権力争いに外なりません。そして権力争いこそが支配・被支配二層構造社会の原点であるのです。
権力を得た時間という支配者の代理人となった人間の支配者たちは、そこで支配の方便を考えた結果、光という神への信仰を宗教に変えてしまい、神の下の律法(法律)を時間を超越した存在としての予言者(預言者)によって捏造させた。
“God is light(神は光なり)”
ユダヤ教・キリスト教のバイブルである聖書も、イスラム教のバイブルであるコーランも、古代インドの宗教書ウパニシャッドもみな「神は光なり」と主張している所以であります。
そして人間社会だけの律法(法律)の誕生であります。
ここで最初の間違いを犯したのです。
時間の概念を人間の意識レベルから無意識レベルに隠してしまったわけです。
その結果、次の間違いを犯してしまった。
間違った時間の概念をつくってしまったわけです。
時間の物差しの目盛りを1秒・1分・1時間・1日・1ヶ月・1年などとして、過去・未来を1秒前・1秒後、1分前・1分後、1時間前・1時間後、1日前・1日後、1ヶ月前・1ヶ月後、1年前・1年後などとして、前と後が限りなく近づいた状態を現在などとして、過去・現在・未来という間違った時間の概念をつくってしまった。
挙げ句の果てに、相対性理論による時間の出世劇であります。
今や、時間はわたしたちの神にまで出世してしまったのです。
拙著「神はすぐ傍」はその警鐘の書であります。
時間は本当に制御不可能なのでしょうか。
相対性理論では不可能でありますが、絶対性理論では制御可能であります。
時間を制御できないから、わたしたちは悩むのです。
時間を制御できたら、わたしたちは悩む必要がないのです。
無知性の絶対一元論の世界で生きている他の生き物には悩みがありません。
有知性の絶対一元論の世界で生きるなら人間も悩みません。
相対性二元論の間違った考え方である、好いとこ取りの相対的一元論の世界で生きているから人間は悩むのです。