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Chapter 843 相対性理論=相対的一元論 絶対性とは唯一性のことであり、相対性とは二元性のことであります。 静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙は絶対性宇宙であり、運動の光と音(喧噪)の全体宇宙が相対性宇宙であります。 わたしたちが生きている宇宙は運動の光と音(喧噪)の全体宇宙ですから、相対性の法則が適用される。 絶対宇宙では唯一の法則であったのが、無の絶対宇宙から有の全体宇宙がビッグバンによって誕生した結果、三つの法則に分化した。 意志という唯一の力しかなかった絶対宇宙から、ビッグバンによって全体宇宙が誕生した直後に、重力、強い力、弱い力、電気の力という四つの力に分化した結果、運動を始めたわけです。 唯一の法則は静止の法則であるのに対して、三つの法則が運動の法則であり、誕生(+=プラス)・生(0=ニュートラル)・死(-=マイナス)という円回帰運動の法則であったわけです。 150億年前に全体宇宙が誕生した瞬間(とき)には三つの法則だったのが、その後、銀河星雲のような星雲宇宙が誕生することによって三つの法則が六つの法則に分化し、星雲宇宙から太陽のような恒星が誕生することによって六つの法則が十二の法則に分化し、太陽のような恒星から惑星群が誕生することによって十二の法則が二十四の法則に分化し、太陽系惑星群から地球のような惑星が誕生することによって二十四の法則が四十八の法則に分化してきたのは、すべて二元論という相対性が適用されたからであります。 すべてのものは二元的つまり(+=プラス)と(-=マイナス)に分化されるというのが二元論であります。 三つの法則である(+=プラス)・(0=ニュートラル)・(-=マイナス)が二元的に分化されるから六つの法則・十二の法則・二十四の法則・四十八の法則と分化されていったわけです。 (+=プラス)や(-=マイナス)という表現は、わたしたち一般の人間には馴染み難いですが、わたしたちが生きている(運動している)中で、“生きているのは好いが、死にたくない!”とか、“善は好いが、悪は好くない!”とか、“強くなりたいが、弱くはなりたくない!”とか、“賢くはなりたいが、愚かにはなりたくない!”とか、“お金持ちは好いが、貧乏は嫌だ!”とか、“幸福は好いが、不幸は嫌だ!”とか、“天国には行きたいが、地獄には行きたくない!”とか思うのは、すべてのものを二元的つまり(+=プラス)と(-=マイナス)に分化する二元論が働いたためであり、結果、“オスは好いが、メスは好くない!”という男性社会が生まれ、男性社会の劣性遺伝子である差別・不条理・戦争が横行する人間社会に成り果てたわけです。 間違った二元論つまり好いとこ取りの相対的一元論の結果でありますが、根元にあるのは相対的二元論です。 光を絶対的存在と捉える相対性理論は相対的二元論とは決定的に違います。 相対的二元論には絶対者は在り得ません。 相対的二元論とは、飽くまで補完関係にある二元要因の関係であって、絶対的なものは何一つありません。 わたしたちが思い悩むのは、“生きているのは好いが、死にたくない!”とか、“善は好いが、悪は好くない!”とか、“強くなりたいが、弱くはなりたくない!”とか、“賢くはなりたいが、愚かにはなりたくない!”とか、“お金持ちは好いが、貧乏は嫌だ!”とか、“幸福は好いが、不幸は嫌だ!”とか、“天国には行きたいが、地獄には行きたくない!”とか、“健康にはなりたいが、病気にはなりたくない!”とか、挙げ句の果てに、苦しい時の神頼みになって、“神は歓迎するが、悪魔は御免だ!”といった考え方に原因があることを認識しなければなりません。 地球という有限の宇宙に、わたしたちと同じように生きている他の生き物たちには、“生きているのは好いが、死にたくない!”とか、“善は好いが、悪は好くない!”とか、“強くなりたいが、弱くはなりたくない!”とか、“賢くはなりたいが、愚かにはなりたくない!”とか、“お金持ちは好いが、貧乏は嫌だ!”とか、“幸福は好いが、不幸は嫌だ!”とか、“天国には行きたいが、地獄には行きたくない!”とか、“健康にはなりたいが、病気にはなりたくない!”とか、挙げ句の果てに、苦しい時の神頼みになって、“神は歓迎するが、悪魔は御免だ!”といった考え方は一切在りません。 好いとこ取りの相対的一元論は人間社会だけに通用するものであって、他の生き物たちには二元論的発想は全くない、所謂無知性の絶対一元論の世界で生きています。 光を絶対とする相対性理論は、他の生き物の世界には通用しません。 相対性理論が人間社会だけに通用するものであって、他の生き物が住む自然社会には通用しない故、掟ではなく、律法(法律)のようなものであると申しました所以であります。 相対性理論こそがまさに好いとこ取りの相対的一元論という間違った二元論に外ならないのであります。 |