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Chapter 844 絶滅の危機 静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙は静止一如の世界であるのに対し、運動の光と音(喧噪)の全体宇宙は誕生(静止)・生(運動)・死(静止)の円回帰運動(繰り返し運動)の世界であります。 絶対宇宙は絶対全体観であるのに対し、全体宇宙は相対的全体観、つまり、「二元論」、「全体と部分の相対性の法則」、「在り方と考え方」の部分観であります。 絶対宇宙が全体観であるのに対し、全体宇宙は所詮部分観であります。 絶対性理論が全体観であるのに対し、相対性理論は所詮部分観であります。 全体宇宙の一員である他の生き物が相対的全体観、つまり、「相対的二元論」、「相対的全体観」、「在り方」で生きているのに対し、わたしたち人間だけが相対的部分観、つまり、「相対的一元論」、「相対的部分観」、「考え方」で生きている。 他の生き物は無知性の絶対一元論で生きていると述べてきましたが、厳密に言えば、他の生き物も生きている、つまり、運動しているのですから、「二元論」の世界で生きていることになり、絶対的一元論ではなくて、相対的二元論で生きていることになります。 有知性の絶対一元論が三元論であるように、無知性の絶対一元論は真の二元論、つまり、相対的二元論と言ってもいいわけです。 誕生(始点)・生(円周)・死(終点)が円回帰運動の一環である所以です。 誕生(始点)が無知性の絶対一元論。 生(円周)が相対的二元論。 死(終点)が有知性の絶対一元論(三元論)。 始点(一)=終点(一=三)。 一=絶対的無知性。 二=相対的(無知性・有知性)。 三=絶対的有知性。 わたしたち人間だけが、知性を得た(善悪の判断をする果実を食べた)故に、エデンの園から追放されたのは、まさしく、二元論の相対的世界での無知性から有知性への進化過程と言えるわけです。 わたしたち人間だけにある四苦八苦の人生は、進化する痛み、産みの苦しみであると言えます。 進化する苦しみ、産みの苦しみは可及的速やかに抜け切ることが肝要です。 進化する苦しみ、産みの苦しみに鈍感になっていますと、肝腎の目的である進化・産みに到達することができなくなります。 ところが、わたしたち人類は未だに二の足を踏んでいる。 善悪の判断の果実を食べた時点で、わたしたち人類は無知性(ゼロ)から有知性(一)の世界に足を踏み入れたのに、二の足を踏み込まずに、二の足を踏んでいる。 清水の舞台から飛び下りる勇気を奮えずにいるのは、わたしたちひとり一人の課題のみならず人類の最大の課題であると言っても過言ではありません。 生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・健康・病気、神・悪魔・・・の生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国・・・健康・神・・・だけを好いことだと勘違いする好いとこ取りの相対的一元論から、生も死もない、オスもメスもない、善も悪もない、強も弱もない、賢も愚もない、貧も富もない、幸も不幸もない、天国も地獄もない・・・健康も病気もない、神も悪魔もない・・・有知性の絶対一元論つまり三元論の世界に可及的速やかにジャンプすることが人類最大の課題であります。 地上を制覇した恐竜が氷河時代の到来も相俟って絶滅したように、地上を制覇した新恐竜・人類が絶滅するか永続できるのか。 氷河期は1万数千年周期でやって来るフォトンベルト突入の時期に起こると言われており、今まさにわたしたちの地球はフォトンベルト突入を目の前にしているのは、何かを象徴しているのでしょうか。 人類の大群発生がその兆候なのでしょうか。 |