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Chapter 845 人生とは夢 静止画面が実体あるフィルムで、動画面は無数の静止画面をパラパラと捲る、つまり、運動させた映像に過ぎない。 動いているものはすべて映像、つまり、幻想であり夢である。 静止しているものが実在するものである。 従って、静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙が実体ある宇宙で、運動の光と音(喧噪)の全体(相対)宇宙は映像であり、幻想であり、夢の宇宙であります。 生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・健康・病気、神・悪魔・・・の死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄・・・病気・悪魔・・・が静止の暗闇と沈黙の宇宙の実体在るもので、生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国・・・健康・神・・・は運動の光と音(喧噪)の宇宙という映像であり、幻想であり、夢であります。 わたしたちが寝ても起きても夢を観ているという所以がここにある。 マクロ宇宙からミクロ宇宙まで貫く真理です。 小宇宙と言われているわたしたち人間の肉体も全く同じメカニズムで機能しているわけで、肉体と五感が静止宇宙レベルで、意識と「想い」が運動宇宙レベルであると言ってもいいでしょう。 肉体は死んでも消滅はしないが、意識は肉体が死ぬと消滅します。 わたしたちは自分の肉体を五感だと勘違いしています。 五感こそが有機生命体の表象であって、五臓六腑の肉体も有機生命体の表象ですが、普段肉体と意識しているのは五感だけだからです。 普段のわたしたちは肝臓を意識して生きていません。 普段のわたしたちは心臓を意識して生きていません。 普段のわたしたちは脾臓を意識して生きていません。 普段のわたしたちは肺臓を意識して生きていません。 普段のわたしたちは腎臓を意識して生きていません。 普段のわたしたちは大腸を意識して生きていません。 普段のわたしたちは小腸を意識して生きていません。 普段のわたしたちは胆嚢を意識して生きていません。 普段のわたしたちは胃を意識して生きていません。 普段のわたしたちは三焦を意識して生きていません。 普段のわたしたちは膀胱を意識して生きていません。 普段のわたしたちが肉体と意識しているのは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚だけつまり五感だけであります。 従って、肉体が生きている(機能している)つまり運動している状態で生じる意識は意識していません。 従って、普段のわたしたちが意識と意識しているのは、五感が機能つまり運動している状態で生じる「想い」だけであります。 わたしたちが意識していなくても五臓六腑は機能しているように、わたしたちが意識していない意識があり、意識している意識は、五感が機能した結果生じる「想い」に外なりません。 わたしたちが自分だと思っているのは、肉体の部分である五感と、意識の部分である「想い」なのです。 部分が感じる部分観こそが「私」という自我意識(エゴ)に外ならない。 全体が感じる全体観には「私」という自我意識(エゴ)がありません。 「私」と思った途端全体観は消滅し、「私」が消滅した途端全体観は現れるのです。 静止している(死んでいる)ものが実体あるもので、運動している(生きている)ものは映像であり、幻想であり、夢であるのです。 |