Chapter 847 過去・現在・未来の正体

わたしたちは、過ぎ去った過去は憶えているが、未だ来ぬ未来は憶えていないと思っています。
果たしてそうでしょうか。
過去とは1息前・1秒前・1分前・1時間前・1日前・1ヶ月前・1年前・1生前のことです。
未来とは1息後・1秒後・1分後・1時間後・1日後・1ヶ月後・1年後・1生後のことです。
現在とは1息前後・1秒前後・1分前後・1日前後・1ヶ月前後・1年前後・1生前後が繋がったことです。
物理学で言うところの三本の時間の矢の一本である心理的時間の矢は、過去から現在を経て未来への一方通行の流れを示していて、熱力学的時間の矢と宇宙論の時間の矢と常に同じ方向を向いている。
現在の宇宙が膨張し続けているのだから、心理的時間の矢も過去から現在を経て未来への一方通行になっているというわけです。
過ぎ去った過去は憶えているが、未だ来ぬ未来は憶えていない根拠が、この三本の時間の矢の同一方向性にあるわけです。
現在が過去・現在・未来という水平的時間の一つとするなら、現在は1息前後・1秒前後・1分前後・1日前後・1ヶ月前後・1年前後・1生前後とは言えません。
1息前・1秒前・1分前・1日前・1ヶ月前・1年前・1生前か、1息後・1秒後・1分後・1日後・1ヶ月後・1年後・1生後のどちらかでなければ一方通行になりません。
ところが先に述べましたように、現在とは1息前後・1秒前後・1分前後・1日前後・1ヶ月前後・1年前後・1生前後が繋がったことであります。
過去に思いを馳せている人にとっての現在は1息前・1秒前・1分前・1日前・1ヶ月前・1年前・1生前であり、未来に思いを馳せている人にとっての現在は1息後・1秒後・1分後・1日後・1ヶ月後・1年後・1生後であるわけですから、現在は間違いなく1息前後・1秒前後・1分前後・1日前後・1ヶ月前後・1年前後・1生前後が繋がったこです。
過去・現在・未来を時間とする水平的時間(心理的時間)の矢は一方通行である所以は、過去・未来を1息前・1息後、1秒前・1秒後、1分前・1分後、1日前・1日後、1ヶ月前・1ヶ月後、1年前・1年後、1生前・1生後といった前後関係で表現するからであって、前後が繋がった現在は水平的時間(心理的時間)の一つに組み込むことはできないのです。
1息前後・1秒前後・1分前後・1日前後・1ヶ月前後・1年前後・1生前後という現在の極限値が垂直的時間との交差点である『今、ここ』である筈です。
1息前後・1秒前後・1分前後・1日前後・1ヶ月前後・1年前後・1生前後の現在とは『今、ここ』のことであり、過去・現在・未来の現在ではなく、過去・現在・未来の現在とは『今ここ』のことに外なりません。
過去や未来に思いを馳せている人にとっての現在は過去・現在・未来の現在ですが、『今、ここ』にいる人にとっての現在は1息前後・1秒前後・1分前後・1日前後・1ヶ月前後・1年前後・1生前後が繋がった現在であるのです。
そうしますと、過ぎ去った過去は憶えているが、未だ来ぬ未来は憶えていないと思っていることは間違いであり、過ぎ去った過去も憶えているが、未だ来ぬ未来も憶えていることになります。
現在の宇宙が膨張し続けているなら、わたしたちは風船を膨らまし続けることができる筈なのに、風船は必ず破裂して収縮するのは何故でしょうか。
宇宙も風船と同じように、膨張・収縮の繰り返し運動をしているからに外ならないのであり、そうであるなら、過ぎ去った過去も、未だ来ぬ未来も憶えているに違いありません。
『今、ここ』という垂直的時間との交差点に立てば、1息前後・1秒前後・1分前後・1日前後・1ヶ月前後・1年前後・1生前後が繋がったことを現在と捉え、過ぎ去った過去も、未だ来ぬ未来も憶えている筈です。
『今ここ』という水平的時間(心理的時間)の過去・現在・未来の現在と捉えれば、過ぎ去った過去は憶えているが、未だ来ぬ未来は憶えていない。
既視感(Dejavu)現象というのがありますが、まさに『今、ここ』に立った結果、未だ来ぬ未来を憶えていて、それを思い出したからであります。
絶対性理論に依る『今、ここ』に立てば、過ぎ去った過去も、未だ来ぬ未来も憶えている人生を生きることができる。
相対性理論に依る『今ここ』に立てば、過ぎ去った過去だけを憶えて悔やみ、未だ来ぬ未来は憶えていないために取り越し苦労する人生を生きることになる。
どちらの人生を選ぶかはわたしたちひとり一人の決断に依るのです。