Chapter 848 死は絶対か

過ぎ去った過去は憶えているが、未だ来ぬ未来は憶えていない。
時間に制御されている、つまり、時間に振り回されている人間だけが陥る勘違いであります。
憶えていることを過去と言い、憶えていないことを未来と言う。
既知のことを過去と言い、未知のことを未来と言う。
既知のことは怖くないが、未知のことは怖い。
怖いことと、怖くないことがある。
好いとこ取りの相対的一元論の原点がここにある。
未知の世界の極致にある死が恐怖の極致になっている所以であります。
既知のことが未知の中にある死。
既知のことでありながら未知の中にある死という矛盾を抱えて生きている人間だけが、死という知識(知性)を得てしまった。
“わたしたちは、過ぎ去った過去は憶えているが、未だ来ぬ未来は憶えていないと思っています。果たしてそうでしょうか”と前章で申しました。
未だ来ぬ未来という未知の中に死という既知のものがあるのに、未だ来ぬ未来は憶えていないと言えるでしょうか。
この世に生まれた人間の唯一の普遍の事実(固有の事実を超えた事実)が死であります。
死とは既知と未知の相対的区分けなどない絶対的既知であります。
固有の事実とは相対的区分けであるのに対し、普遍の事実(真理と言い換えてもいい)が絶対的既知であり、死こそが絶対的既知である。
わたしたち人間は、相対的区分け、畢竟、好いとこ取りの相対的一元論で生きているから、過ぎ去った過去は憶えているが、未だ来ぬ未来は憶えていないと思い込む自縄自縛の罠に嵌り込んでしまっているのです。
“過ぎ去った過去は憶えているが、未だ来ぬ未来は憶えていない”
このことを普遍の事実である真理、つまり絶対的既知であるとするなら、死は絶対的既知では有り得ません。
“死とは既知と未知の相対的区分けなどない絶対的既知である”
このことを普遍の事実である真理、つまり絶対的既知であるとするなら、過ぎ去った過去は憶えているが、未だ来ぬ未来は憶えていないことは有り得ません。
未だ死んだ経験がない、つまり、生きている者が、死を絶対的既知だと断定はできないが、統計的にはどうやら絶対的既知であるらしい。
結局の処、問題は自己の知性に対する信頼性に掛かってくるわけです。
逆に言えば、知性を絶対信頼できないのに、相対信頼をしようとする中途半端さが問題であるわけです。
知性を得た生き物である人間だけが中途半端な生き方をしている。
知らないなら絶対的未知の中で、他の生き物のように生きればいい。
知っているなら絶対的既知の中で生きればいい。
相対的既知などといった中途半端な生き方をするから、好いとこ取りの中途半端な相対的一元論で生きなければならない羽目に陥ったのです。
結果、生は好いが死は好くない、オスは好いがメスは好くない、善は好いが悪は好くない、強は好いが弱は好くない、賢は好いが愚は好くない、富は好いが貧は好くない、幸福は好いが不幸は好くない、天国は好いが地獄は好くない・・・健康は好いが病気は好くない、神は好いが悪魔は好くない・・・といった考え方の中途半端な生き方をしているのであります。
絶対性には既知も未知もない、つまり、絶対的既知である。
静止一如の所以です。
相対性には既知と未知がある、つまり、相対的未知である。
静止・運動の繰り返し運動の所以です。
死を絶対的とするのか、相対的とするのかを決定するのは自己しかありません。