Chapter 849 偽時間と虚時間

死というものが絶対的既知であるなら、過ぎ去った過去は憶えているが、未だ来ぬ未来は憶えていないとする、過去から現在を経て未来へ流れる心理的時間の矢は一方通行ではなく両側通行になります。
運動の光と音(喧噪)の全体宇宙の基本法則である誕生・生・死という円回帰運動は、誕生という静止始点と、死という静止終点が絶対的既知であり、生という運動円周が相対的未知であることを示しています。
従って、過ぎ去った過去も憶えているが、未だ来ぬ未来も憶えていることになります。
既視感(Dejavu)現象とは、未だ来ぬ未来を憶えていることの示唆であると言えるわけです。
既視感(Dejavu)現象とは、心理学上の言葉ですが、実は日常茶飯事的に起こっている。
近い未来に起こるであろうことがわかる現象なのです。
現在とは過去・現在・未来という心理的時間の一つだが、過去は未来に手を向け、未来は過去に手を向けているのに対し、現在は過去にも未来にも手を向けているのが、その特性であり、『今ここ』の所以です。
過去とは1息前・1秒前・1分前・1時間前・1日前・1ヶ月前・1年前・1生前であり、未来は1息後・1秒後・1分後・1時間後・1日後・1ヶ月後・1年後・1生後であるのに対し、現在は1息前後・1秒前後・1分前後・1時間前後・1日前後・1ヶ月前後・1年前後・1生前後であることが、現在が過去にも未来に手を向けている所以であり、過去にも未来にも手を向けている本質こそが、心理的時間ではない『今、ここ』の特性を有している『今ここ』に外ならないわけです。
未だ来ぬ未来のことを憶えている既視感(Dejavu)現象とは、過去にも未来にも手を向けている『今、ここ』の本質を顕現させているのであり、『今ここ』という現在も、その本質を有しているから、近い未来に起こることがわかるわけです。
心理的時間が過去と未来だけではなくて、過去にも繋がり、未来にも繋がっている現在がある所以でもあります。
心理的時間の矢という水平的時間(量的時間)上の『今ここ』という現在と、垂直的時間(質的時間)上の『今、ここ』とは仮想交点で繋がっているわけであり、仮想交点である故に、過去・現在・未来という水平的時間(量的時間)軸と、『今、ここ』が立っている垂直的時間(質的時間)軸とは交差していない証左であり、畢竟、時間は空間の上に立つ四次元要因にはなり得ない証左になります。
アインシュタインの相対性理論よりも、ハイゼンベルグの不確定性原理の方がより正しいことになります。
過去・現在・未来は本当の時間ではなくて、所詮心理的な時間、つまり、偽の時間であり、垂直的時間(質的時間)である虚時間こそが本当の時間、つまり、実時間に外ならないのです。
時間の概念を知った、知性ある生き物・人間が持った間違った時間の概念とは、実時間を虚時間として、偽時間を実時間にしたことであったのです。
“一寸先は闇”であり、“一寸先は光”でもあります。
それが相対的未知の本質であります。