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Chapter 901 知性の洗い直し 知性ある生き物・人間は、知性には功罪両側面があることを見逃してきたようであります。 功側面の代表が科学だと言ってもいいわけで、自然界では極めて弱い生き物であった人類でしたが、科学の力によって他の生き物の上に君臨することができた一方で、知性の罪側面として、悟れない、覚醒できない、純粋に愛せない生き物になってしまったのです。 人間社会だけに差別・不条理・戦争といった悲劇が起こるのは、唯一人間が悟れない、覚醒できない、純粋に愛せない生き物である証明です。 宗教という名の下に悟り・覚醒・愛を希求してきた人類は、目差す悟りの境地を見誤っていたようです。 他の生き物たちが生きる世界を、自分たち人間よりも一段低い存在の世界と見なし、悟りの境地を自分たち人間よりも一段高い存在の世界と見なした誤りです。 更なる誤りを犯したのは、自分たち人間よりも一段高い存在を疑人化したことであります。 自分たち人間よりも一段高い存在として擬人化した神の概念がこうして誕生したのです。 悟る、覚醒する、純粋に愛することができるのは神のみであり、唯一人間だけが努力次第で悟る、覚醒する、純粋に愛することができるようになる、つまり、神になることができるというわけです。 人類だけに信仰延いては宗教が誕生した所以であります。 知性には功罪両側面があることを見逃していた結果、宗教が誕生した、神の概念が誕生したと言っても過言ではありません。 功罪両側面があるということは、功罪も二元論のカテゴリーに入っていることに外なりません。 功側面と罪側面は一枚のコインの表裏であるということですから、功側面の科学と罪側面の悟れない、覚醒できない、純粋に愛せないということは表象の違う同質のものであるわけで、人間が悟れない、覚醒できない、純粋に愛せない原因は科学にあったことに外ならない。 科学者が宗教・哲学と一線を画す真の原因がこの点にあります。 超一流の科学者だけが、科学の限界を知って宗教・哲学の世界に入っていった所以でもあります。 人間の一生のテーマとしての悟り・覚醒・愛の実現を阻んでいたのは、知性の功側面だと思い込んでいた科学にあったわけで、科学を持たない他の生き物はすべて悟り・覚醒・愛の世界で生きていたのです。 エデンの園とは、わたしたち人間が希求してきた悟り・覚醒・愛の世界に外ならなかったのです。 エデンの園を追放された人間は、エデンの園以外のところに悟り・覚醒・愛の世界があると勘違いしてきたのです。 差別・不条理・戦争の無い平和な社会を望むなら、わたしたち人間も他の生き物たちが生きているエデンの園、つまり、自然の世界に戻るしかありません。 科学万能と勘違いし続けるなら、差別・不条理・戦争がますます横行する人間社会になることは必定であります。 知性の功側面と思い込んできた科学を洗い直してみる必要がある。 Chapter901からは、知性の原点であり、科学の基礎要件である言葉・文字・数字について洗い直す作業をして行きたいと思います。 |