Chapter 908 二十一世紀の学問

大脳をコンピュータで喩えると、人間だけがパソコンであり、他の生き物はスーパーコンピュータであります。
パソコンは種々雑多の仕事をこなしますが、性能は極めて低い。
スーパーコンピュータは単純な仕事しかできないが、性能は極めて高い。
唯一の知性ある生き物・人間でありますが、知性とは複雑化のために性能を落とす、つまり、汎用性の意味であって、量的物指しに過ぎないことを、二十一世紀に立つわたしたち人間は理解しなければなりません。
質的物指しは性能を計る。
量的時間(水平時間)、つまり、過去・現在・未来の時間の概念を持つのは知性ある生き物・人間だけであり、質的時間(垂直時間)、つまり、朝・昼・夜・春・夏・秋・冬という季(とき)の観念を持つのは無知性の他の生き物であります。
“時は金なり(Time is Money)”と考えているのは知性ある生き物・人間だけであります。
パソコンの機能、つまり、多様性が向上するに連れて、高度情報化社会が実現していくわけで、インターネットで何でも知ることができる世の中になっています。
知性、つまり、知るということは、複雑化していくことに外ならないわけですから、悩みや四苦八苦がますます多くなるのは当然の結果です。
複雑化こそが悩み・四苦八苦の正体なのです。
記憶の分散化、つまり、分裂症状こそが悩み・四苦八苦の正体なのです。
量的時間(水平時間)である過去・現在・未来の時間の概念こそが、記憶の複雑化・分散化を促し、分裂症状を来たし、悩み・四苦八苦を生むのであります。
音を言葉、つまり、文字と数字に複雑化・分散化した結果、量的物指しでしか計れなくなったのです。
文字の学問が文学(国語)。
数字の学問が数学。
音を言葉に複雑化・分散化した結果誕生したのが文字の学問である文学(国語)であり、数字の学問である数学であります。
知性を磨くのが学問である所以です。
数学と文学(国語)が学問の基本なのであります。
現代人は数学と文学(国語)を対立する位置に置いています。
振り子の両端に置いています。
科学と哲学を対立する位置に置いています。
まさに複雑化・分散化の結果であります。
科学と哲学を統合するのが二十一世紀の学問であると主張する所以であり、それは突き詰めてみれば、数学と文学(国語)の統合であり、従来の数学と文学(国語)、つまり、数字と文字の見直し作業に外なりません。