Chapter 913 自然災害(天災)はすべて人災

わたしたち人間はいくら科学の力を駆使しても自然の災害(天災)から逃れることができません。
他の生き物たちはいくら科学の力を駆使できなくても自然の災害(天災)には無縁で生きることができます。
意識が眠った人間には、音の音(Sound of sound)の世界、つまり、映像の世界を感知することができても、沈黙の音(Sound of silence)の世界、つまり、実在の世界を感知することができないからです。
意識が眠った人間には、光の光(Light of light)の世界、つまり、映像の世界を感知することができても、暗闇の光(Light of darkness)の世界、つまり、実在の世界を感知することができないからです。
光にも光の光(Light of light)と暗闇の光(Light of darkness)があります。
可視光線(visible)、つまり、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色が光の光(Light of light)であり、赤外線・紫外線といった可視光線(visible)の波長範囲を超えた不可視光線(invisible)が暗闇の光(Light of darkness)であり、わたしたち人間の視力では見えませんが、他の生き物たちには暗闇の光(Light of darkness)が見える。
音にも音の音(Sound of sound)と沈黙の音(Sound of silence)があり、人間が聞くことのできる音、つまり、可聴音波(audible)が音(Sound of sound)であり、不可聴音波(inaudible)が沈黙の音(Sound of silence)なのです。
可視光線(visible)か不可視光線(invisible)か。
可聴音波(audible)か不可聴音波(inaudible)か。
人間の五感能力を超えたら不可視光線(invisible)になり、不可聴音波(inaudible)になるだけのことであり、他の生き物にとっては可視光線(visible)であり、可聴音波(audible)であるから、自然の運動を感知することができ、自然災害(天災)にはならないのに、人間にとっては不可視光線(invisible)であり、不可聴音波(inaudible)であるから、自然の運動を感知することができず、自然災害(天災)になるのであります。
アフリカで原始生活をする人たちの視力は20以上あると言われていて、数キロ先まで見えるそうです。
科学を万能と錯覚してきた先進国の人間の五感能力が低下していただけのことであります。
計算機が発明されてから、人間は計算能力(暗算能力)が極端に低下してきたのも、五感能力の低下であり、ワープロが発明されてから漢字を書く能力が低下してきたのも、五感能力の低下の結果であります。
科学を功罪両側面の功側面と捉えてきた現代人の五感能力は低下の一途を辿っているのですから、自然の動き、つまり、地球の運動を感知する能力がますます低下する結果、自然災害(天災)がますます増加することは必定であります。
地上の温度(大気温)の上昇で水が水蒸気(雲)になり、下降で水蒸気(雲)が水になる循環(円回帰運動)で雨が降ります。
大気温の上昇・下降が気圧差になり、高気圧・低気圧が発生し、低気圧になると雨が降り、超低気圧になると台風になるだけなのに、雨は天災ではなく-時には天の恵みにもなる-、台風は天災だと勘違いしているのが五感能力の低下した人間です。
地中温の上昇・下降が地圧差になり、高地圧・低地圧が発生し、低地圧になると地面が振動して風を起こし、超低地圧になると地震という天災だと勘違いしているのが五感能力の低下した人間です。
自然災害(天災)というのは、人間の五感が感知できない不感知光・音・匂い・味・肌触りの地球の動きに過ぎないのであり、感知する側に問題があるのです。
悩みや四苦八苦の人生も五感能力の低下に原因があるわけで、感知能力の問題、つまり、主観的問題であって、客観的問題ではないのです。
問題(トラブル)とは飽くまで受け取る側、つまり、主観の問題であり、主観とは五感能力のことであり、人によって千差万別です。
客観とは全体観のことであり、唯一無二のものであり、自然のことであり、宇宙全体のことであります。
天災も人災もすべて人災であるのです。
科学が進歩すればするほど天災が増えるのは必定です。
科学が進歩すればするほど悩み・四苦八苦が増えるのは必定です。
科学の見直しが絶対必要であります。